高梨沙羅「まだ金メダルの器ではなかった」と言いながらも平昌五輪で得た自信。見据えた未来は「北京で金」 (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA

【ソチの悔しさをはね返せた】

 2014年のソチ五輪は前シーズンにW杯総合を制していたうえに、そのシーズンは13戦10勝で2位2回、3位1回という抜群の強さで臨んだ。周囲からも本人も、金メダルは間違いないと確信するほどの状況だった。だが、現地入りしてから助走の滑りが狂い出し、本番では風にも恵まれずまさかの4位。メダリストのフラワーセレモニーを横目で見ながら戻ってくる彼女の目には、涙が浮かんでいた。

 W杯総合はソチ五輪の翌シーズンこそ2位だったが、そのあとの2シーズンは1位と強さを見せていた。しかし平昌五輪シーズンになると、力関係は少し変化した。シーズン直前の合宿が気温上昇で、練習を十分に積めなかったこともあり、開幕戦には技術を万全な状態にできなかった。そのあとも試行錯誤が続き、なかなか勝てない状況になった。大柄な体のマーレン・ルンビ(ノルウェー)が踏み切りでパワーを生かせるようになり、W杯は10戦7勝で2位3回という圧倒的な強さを見せた。同じくパワー型のカタリナ・アルトハウス(ドイツ)も8戦2勝で表彰台を一度も外さない安定感。総合3位につける高梨は10戦して2位1回3位4回でそれ以外は4位と安定はしていたが、爆発力の点ではやや劣っていた。

 ソチ五輪の失敗の大きな要因は、好調でシーズンインをしながらも調子が下降し始めたところで本番を迎えてしまったこと。だから平昌シーズンでは乗りきれない滑り出しを「吉兆」と考え、大会へ向けて徐々に調子を上げていこうとしていた。さらに、ルンビとアルトハウスが一気に力を伸ばしてきたことで、戦いや挑戦や楽しさを思い出し、心を躍らせていたのだ。

 平昌入りしてからの高梨の表情は穏やかで生き生きとしていた。高梨は「山田いずみコーチからも『ソチの時より、私は今の顔のほうが好きだよ』と言われました」とうれしそうに言った。「韓国のメディアでは"美女鳥"と言われて人気になっているそうだけど」と話を振ってみると、「いえいえ、それとは違うと思います」と明るく笑った。

「ソチからの4年間はいろんなことがあったけれど、あの時の悔しさは、自分をぶつけることができた2本のジャンプではね返せたと思います。でも、今こうして銅メダルで終わったというのは、自分がまだ金メダルを獲る器ではないということなので......。また新たな目標ができたし、2022年の北京五輪では今度こそ金メダルを獲れるように、この4年間のなかで試行錯誤したものをこのあとにもつなげられるようにしたいです」

 ソチ五輪では試合の雰囲気に飲み込まれてしまった部分もあったが、「今回(平昌五輪)は自分の足で試合会場に来て、自分を信じて飛べた」と話した高梨。自分だけの背中に勝利がのしかかる状態ではなく、強いライバルがふたりもいる状況で「純粋に試合を楽しめた」とも言った。

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