渡部暁斗が「これはもらったな」と感じた大ジャンプ。インフル感染を機に消えた迷い、五輪でのメダル獲得へつながった (3ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA

 日本チームの河野孝典ヘッドコーチは、渡部の強さをこう説明した。

「渡部は2シーズン前に4勝して総合2位になり、前シーズンは調子がそれほどよくなかったにもかかわらず総合3位になっている。さらに五輪シーズンはインフルエンザにかかるアクシデントはあったが、5回も表彰台に上がっています。そういう自信の積み重ねがこの結果につながっているのだと思います」

【インフルエンザが調子を上げた?】

 年明けに感染したインフルエンザが治ってからは、迷いがあったジャンプの助走の姿勢もピタリと決まるようになったという。病気になってしっかり休んだことで、たまっていた疲労も抜けて体がリフレッシュできたのだろう。寝ている間に、イメージトレーニングをしていたのかとの質問に渡部は、「いえ、何もやっていませんよ。寝ながらゲームをやっていただけですから」と答えて、記者たちを笑わせた。

 高校3年で2006年トリノ五輪に出場した時は、チーム5番手、得意なジャンプで勝負する選手だった。それから距離の強化を始めてジャンプの精度は鈍ったが、2009−2010年シーズンから距離でも成長を見せ、W杯で1桁順位に入るようになった。そして、2011−2012年にはジャンプの精度を上げて4勝を含む9度の表彰台でW杯総合2位になって世界のトップに肉薄すると、その翌シーズンも総合3位。ソチ五輪シーズンは10戦中2位1回3位4回で最低順位は8位という安定感のW杯総合2位で本番に臨んでいた。

 そんなW杯の戦いのなかで、渡部の心に芽生えていたのはノルディック複合という競技を「とことん追求したい」という思いだった。V字ジャンプが取り入れられた当初はジャンプで大量リードを奪えば勝てる状況になった。だが、国際スキー連盟はその後、ジャンプ得点と距離のタイム差との換算比率や試合の形式を変えて、よりスリリングな競技を目指した。そうしてジャンプは1本、距離は10kmとなり、ジャンプと距離のバランスが高いレベルで取れた選手でないと勝てないようになった。

 そんななかで渡部が目指したのは世界一だった。勝負が気象条件に大きく左右される競技だからこそ、本当の強さはシーズンを通して安定的な力を発揮した者として手にできる、W杯総合優勝。それが王者の証と考えた。だからノーマルヒルとラージヒルが1試合ずつあるだけの五輪は、そのなかで4年に1度ある特殊な試合としてとらえていただけだった。

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