41歳での銀メダル獲得を世界が称賛。葛西紀明が偉業を達成したスキージャンプの歩み

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kyodo News

【勝利の日が「必ず来る」と信じた】

 葛西が穏やかな心を取り戻してきたのは、2010年バンクーバー五輪前からだった。2003年から取り組んできた新しいスタイルのジャンプが身につき始め、自信が芽生えてきていた。長年続けてきたジャンプという競技の非情さを受け入れられるようになり、いつかは神様がもう「勝っていいよ」と言ってくれる日も来るはずだと信じられるようになった。そんな心の熟成がジャンプに余裕を持たせた。ジャンプスーツのサイズ規定が変更になり、スーツ開発合戦が落ち着いたところで結果が出せるようになると、技術への自信も回復。穏やかな気持ちで勝利の日を待てるようになった。

 ソチ五輪シーズン、待ち続けた日が訪れる。2014年1月のバートミッテンドルフ大会フライングヒルで圧勝した葛西は、41歳7カ月のW杯最年長勝利記録を塗り替えた。そして、そのジャンプの調子を維持したままソチに入ることができ、銀メダル獲得の偉業を達成したのだ。「(1位に)飛距離では負けてないから......。嬉しさ6で悔しさ4ですね」と葛西は笑顔で話した。

 その2日後のラージヒル団体では3位になって2個目のメダルを手にした。葛西は「涙は金メダルまでとっておきます」と事前に宣言していたにも関わらず、涙を流していた。「みんなにメダルを獲らせたかったから」。

 ソチ五輪の日本チームの状態は完璧ではなかった。前年12月は好調だった竹内択は、大会直前の1月に難病のチャーグ・ストラウス症候群の可能性80%と診断され、出場を断念してもおかしくない状態だった。だが、入院中にベッド脇で筋力トレーニングをし、出場にこぎ着けた。さらに、伊東大貴も左膝を痛め、ノーマルヒルには出なかった。チームメイトが苦しい状況だったからこそ、葛西はみんなにメダルを獲らせたかった。そうした思いで手にしたメダルは、20年前のリレハンメル五輪の銀より「価値がある」と言いきった。

 ラージヒル個人の試合後の記者会見では、葛西に外国人記者から質問が殺到した。

「なぜこの年齢まで競技を続けているのか」「いつまで続けるつもりなのか」「日本は長野五輪後に低迷していたが、どうして再び勝てるようになったのか」などなど......。

 葛西は質問の一つひとつに、丁寧に答えた。

「僕はスキージャンプを非常に愛しているし、自分の生活だと思っている。だから飛んでいることが楽しいし、勝つことに快感を感じている。負けるほうが多いけど、勝つということを大事にしている」

「長野五輪以降、日本は低迷し、自分も一時はもう外国勢にはかなわないのではないかと諦めかけたこともあった。だが、僕のチームがフィンランドのコーチを雇ってくれ、世界の技術をまた一から身につけてきた。勝ちたいという気持ちを持ち続けて諦めずにやってきたことが、この結果につながったと思う。年齢を重ねても諦めずにやっていれば結果を出せることを証明できた」

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