名古屋場所10日目の夜、白鵬は師匠と部屋の力士たちに今場所限りの引退を告げた

  • 武田葉月●取材・構成 text by Takeda Hazuki
  • photo by Kyodo News

 こうして、千秋楽、優勝をかけてモンゴルの後輩でもある、照ノ富士との全勝対決に臨むことになりました。

「最後」と決めたこの日は、東京から家族を呼び寄せていました。4人の子どもたちは、私の引退を受け止め切れなかったようですね。「パパ、お相撲、やめないで......」と言われるのは、本当につらかった。

 結びの一番、呼び出しさんに四股名を呼び上げられた時には、これまで支えてくださった多くの人たちの顔、土俵への感謝の気持ちが込み上げてきました。土俵に上がる直前に、土俵に額をつけたのは、土俵への感謝の思いからなんです。

 相撲は張り合いになり、意地のぶつかり合いを経て、最後は小手投げで私の勝利となりました。その瞬間、私は無意識のうちに雄叫びを上げ、ガッツポーズをしていました。

 花道の奥で見守っていた付け人たちに視線を送ると、彼らは泣き出しそうな顔をしていましたね。この場所は初日から、部屋の後輩、炎鵬が関取であるにも関わらず、私の付け人を志願。一緒に15日間を戦いました。

 みんなで勝ちとった優勝だったと思いますし、優勝して引退できた私は幸せだったと思っています。

引退を決めた名古屋場所では、千秋楽で照ノ富士(右)との全勝対決を制して45回目の優勝を飾った白鵬(左)引退を決めた名古屋場所では、千秋楽で照ノ富士(右)との全勝対決を制して45回目の優勝を飾った白鵬(左)この記事に関連する写真を見る モンゴル・ウランバートルで生まれ育った私は、5人兄姉。中学に入るまで、父母と一緒に寝ていたくらい、甘えん坊な子どもでした。

 父はモンゴル相撲の横綱をつとめていて、レスリングのモンゴル代表選手でもありました。1964年の東京オリンピックでは7位、メキシコオリンピックでは銀メダルを獲ったこともあって、自宅にはモンゴル相撲の力士が出入りしていました。

 その頃、NHKのドキュメンタリー番組の取材で、二子山元理事長(当時、相撲博物館館長=元横綱・若乃花)がモンゴルにいらしたんです。父との対面もあって、その時、私も理事長とお会いして、日本のお菓子をいただいたんですよ!

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る