ボートで日本代表を経験した逸材が転身。自転車歴1年余りで早期卒業ラインをクリアし、規格外の能力で競輪界へ (3ページ目)

  • 加藤康博●文 text by Kato Yasuhiro
  • 高橋学●撮影 photo by Takahashi Manabu、石川高央●撮影 photo by Ishikawa Takao

「最初は体操教室に通い、小学校からはレスリングとラグビー。中学校の部活はサッカー部でした。『自分は身体能力が高いんだろうな』とは感じていましたが、当時はあまり身体を動かすのは好きではなかったです。高校生からボート部に入り、本気でスポーツに取り組む楽しさを初めて知りました。日本一を目指しましたし、ここで自分の強みである瞬発力やバランス力がついたと思います。

 自転車は子供の頃からずっと好きでした。免許もいらなくて、体力さえあれば県を越えてどこにでも行ける手段ですし、誰にでも会いに行ける。遠くに行くだけでなく、スピードを出すことも好きで、ずっと魅力を感じていました」

 ボートでは高校時代にジュニアの日本代表として国際大会にも出場。大学でもボート競技を続けたものの、中退し、自転車へと転向した。しかしそこからの歩みも太田らしく個性的なものだった。

「自転車への転向を決めたのは、ボートでは自分のレベルだと世界で戦うには壁があると感じたからです。昔から自転車が好きで自分の能力を試したいという気持ちもありました。始めは地元のサイクルショップで働きながら練習していましたが、縁があり、藤田昌宏選手を紹介していただき、弟子入りしました」

 しかし、この弟子入りはすんなり決まったわけではなかった。太田は藤田からある一風変わった試験を課せられていた。

「毎日、山の上にある神社の階段をひたすら往復し、そのタイムで判断すると言われました。でも具体的なタイムを言われることもなかったんです。毎朝出勤前に、ひたすら往復を繰り返し、少しずつ速くなっていって2カ月くらいでようやく弟子入りを認めてもらえたんです。

 後から聞いたら、タイムの基準などなく、私の競輪選手になりたいという気持ちが本気かどうかを確かめていたようです(笑)。そこで培った体力が今に生きていると思いますし、そもそもそれができたのもボートで精神力と忍耐力を養っていたからだと思います」

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