レジェンド中野浩一を超える選手になれるか。生粋の自転車エリートが競輪選手として世界一の夢へスタート (2ページ目)

  • 加藤康博●文 text by Kato Yasuhiro
  • 高橋学●撮影 photo by Takahashi Manabu、石川高央●撮影 photo by Ishikawa Takao

 競輪選手養成所に入った者は「選手候補生」と呼ばれ、プロアスリートとして必要な技能と知識を学ぶためにさまざまな学科と訓練が課せられる。まさに自転車漬けの生活を送るが、すでにナショナルチームに入る実力を持つ中野であっても、それは例外ではなかった。そして晴れて卒業を迎えた今、養成所で学んだことの大きさをこう語る。

「養成所では細かく生活の時間が決められていて、1分でも遅れると注意を受けます。その意味で厳しいところではありますが、慣れてしまえば問題はなかったです。同じ夢を持つ候補生同士の共同生活は楽しかったです。私は関係なかったですが、女子の候補生との恋愛も禁止されていません。ただ触れることはできず、会話が許されるだけですが(笑)。

 候補生はさまざまなバックグラウンドを持って養成所に入ってきていて、なかには高校時代にずいぶんとやんちゃだった人もいました。ただその人も『親に迷惑をかけたし、競輪選手として活躍して恩返しをしたい』とすごくまじめに自転車に向き合っていました。

 競輪はそうした人の生き方や思いが現れる競技です。自分も子供の頃からの夢を持ち、ひたむきに自転車に取り組んできました。その夢をあきらめず強い気持ちで毎日を過ごすことが、今もこれからも大切なのだと気づけました」

 中野も、自身を「野生児でガキ大将だった」と振り返り、小学校の頃は毎週のように学校から親へ電話がかかってきて叱られていたという。そんななかでも、その当時に思い描いた「世界一になる」という夢が変わることは一度もなかった。

「出身が雪国の岩手県ということもあり、3歳からアルペンスキーに取り組んでいました。子供の頃から本当に負けず嫌いで、勉強以外では何でも1番にならないと気が済まない性格でしたね。世界選手権やワールドカップの舞台をテレビで見て、『僕もこういう選手になりたい、世界一になりたい』と思っていました。

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