市來玲奈アナが小学生で文集に書いた「五輪でメダルを獲りたい」。当時すごく憧れた女子選手がいた (2ページ目)

  • 佐藤主祥●取材・文 text by Sato Kazuyoshi
  • 立松尚積●写真 photo by Tatematsu Naozumi

競技ダンスの経験も語ってくれた市來アナ競技ダンスの経験も語ってくれた市來アナこの記事に関連する写真を見る──実際、市來さんも競技ダンサーとしてアスリートの経験はありますよね。そもそもダンスを競技として始めるきっかけは何だったのでしょう?

 小学5年生の時、当時通っていた学習塾の上の階にある社交ダンス教室を見つけて、「見学したいな」と思ったのがきっかけです。小さい頃からダンスが好きで、幼稚園からクラシックバレエ、ジャズやヒップホップなど、いろんなジャンルのダンスを経験していたというのもありました。それから教室に通うことに決めて、練習を重ねていくと、先生から「君は強い選手になれる。もしよかったら競技選手の育成をしているコーチの元に連れていくよ」と言われたんです。実際に練習が行なわれているスタジオを見て、すぐに競技ダンスに挑戦することを決めました。

──社交ダンスとの違いは、他の選手と技術を競う「競技性」にあると思いますが、もともと競技者として大会に出たい気持ちがあったのですか?

 それこそ、五輪に出たい気持ちがあったからです。実は当時、フィギュアスケートの浅田真央選手に憧れていて。小学生の時の文集に「浅田真央選手のように五輪でメダルを獲りたい」と書いていたんです。ただ競技ダンスは、今もそうですが、五輪種目ではありません。それでもずっと、採用してもらうための動きがあることは当時から聞いていたので、「だったらいつか、正式種目になったら五輪に出てメダルを獲ろう」と、子どもながらに考えていましたね。周りに世界で戦っている先輩方がいたので、背中を追うべき人が近くにいたのも大きかったんだと思います。

──そして実際に、小学6年生でロンドンで開催された世界大会に出場されたんですよね。

 今振り返ると、自分でもなぜ行けたのかわからなくて、ちょっと信じられないですね(笑)。でもそれぐらい競技ダンスにハマっていたんだと思います。楽しくて仕方がなかった。トレーニングはキツくて、つらい思い出しかないんですけど、それさえも上回るほどの楽しさが、戦いのなかにはあったんです。私にはライバルがいて、負けた時はもちろん悔しいのですが、勝てた時の喜びは大きく、それは「絶対にこの地位、この座は奪われたくない」と強く思えるほど。それぐらい魅力があり、本当に楽しい競技だったんです。

 あとはコーチの存在が大きかったですね。指導はすごく厳しかったんですけど、競技ダンスや選手たちのことが大好きな愛のある方だったので、第一に選手である私たちの気持ちを考えてくれていました。高校受験を機に中学2年で現役は引退しましたが、それまで楽しく競技を続けさせてくれたことに本当に感謝しています。

──競技ダンス時代の経験やマインドは、今の仕事にも生きていますか?

 そうですね。特に生きていることは、相手を思いやる心です。というのも競技ダンスは、ひとりでは絶対にできません。男女ふたりが手を取り合って踊るという珍しい競技でもあるので、お互いの思いがひとつにならないと完成しないんです。ですから、もちろん、手の握り方だけでも、相手が今何を思っているのかがわかります。たとえば、しっかり握らず、手が触れるか触れないかという距離だと、「あのペアは喧嘩してるな」みたいな。それぐらい気持ちの全てが踊りに出てしまうんですよ。自分がよくても、相手の調子が悪ければまず勝てない。そんな時、パートナーに対してなんて声をかけるか、どうフォローしてあげるか。毎回すごく考えさせられました。それはその後の学生生活、現在のアナウンサーという仕事にとっても、大きな経験だったと言えます。

 加えて、ストイックな練習で培った強いメンタルも今につながっていて。私、今はコロナの影響であまり行けていませんが、筋トレが大好きで、よくジムに通っていたんです。一時期、ボクシングにもハマっていて、練習していくなかで「もう無理」って思った時に、「いやいや、まだいけるだろー!」みたいな(笑)。「ここで諦めたらダメでしょ!」って追い打ちをかけて、自分の限界を突破していく感覚がたまらなく好きなんですよ。10月から『Going!Sports&News』の土曜日を担当することになったのですが、今後、いろんなアスリートの自己流の筋トレを個人的に聞いてみたくて。絶対ハードだと思うんですけど、体がボロボロになってもいいので、できる限りやってみたいですね。さらに精神を鍛えたいなと。

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