見延和靖が振り返るフェンシングエペ団体金メダルの舞台裏。「作戦がうまくハマった」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA

 金メダルのポイントになったのが、初戦のアメリカ戦で苦戦したことだった。この試合は個人戦6位の山田優と10位の見延、15位の加納虹輝が先発したが、各選手3回ずつ9試合を行なう中、2回ずつの対戦が終わった段階で16対23でリードされていた。

「チームとしての力は日本のほうが上なので、どこかで硬さがほぐれてスイッチが入れば引っくり返せると思っていましたが、僕も含めて五輪という大舞台の初戦という固さがあってなかなかうまくいきませんでした。アメリカはけっこう癖が強いチームで、乗せたら一気に持っていかれてしまうので、警戒しすぎたところはあったと思います」

 2010年からチームを指導しているオレクサンドル・ゴルバチュクコーチは、3廻り目で勝負に出た。一度交代して引っ込んだ選手はその後の試合では使えなくなるが、6点差で迎えた8試合目に、見延に代えて控えの宇山賢を出場させた。その宇山が3連続ポイントを含めて29対31の2点差まで追い詰めた。そして最後の加納がその流れに乗り、最終的に45対39と逆転勝利を収めた。

「あの場面では、何かしらのアクションを起こして局面を打破しなければ負の連鎖が止まらない状況でした。そこを宇山にだったら託せると思っていたし、作戦がうまくハマったと思います。僕自身、個人戦も団体戦も調子はよかったので『もっとやれた』という気持ちはすごくあるけど、試合に出るメンバーだけで戦おうとは思っていなかったので、『俺が出ていれば』という気持ちは一切なかったですね」

 戦い終えてベンチに下がってからは、「チームメイトの戦いに感動しながら祈るだけだった」と話す見延。見ていて最も興奮したのは、フランス戦で最後の加納虹輝が44対44からの1本勝負を制した瞬間だったという。

 相手のヤニック・ボレルはオフェンスが得意な選手。見延は、やられてもいいから攻めてほしいと、「イケーッ、出ろ、出ろ」と声をかけた。だが加納は守備の姿勢を取った。「相手の突きをかわしたあとの突きを外してしまったので、『アーッ、これで終わった』と思ったら、すかさず2本目の突きを出してポイントをとったので、あれは本当に痺れましたね」と笑う。

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