メダルダッシュで「アリガトウ」? 世界各国は東京五輪をこう見ていた (3ページ目)

  • 利根川晶子●訳 translation by Tonegawa Akiko
  • photo by JMPA

 子どもからお年寄りまで、そして新型コロナでベッドに伏せている者までが、一瞬、すべてを忘れて五輪に見入った。ブラジルは世界で三本の指に入る、新型コロナによる死者数が多い国である。そんなブラジルに、東京五輪は従来の陽気さを取り戻させてくれた。サッカーの連覇で大いに盛り上がり(コパ・アメリカの決勝で負けていたので、この勝利には大いに慰められた)、バレーボールで金メダルを獲得できなかったことを嘆いた。今まで人が集まれば新型コロナの話ばかりだったのが、久々に明るい話題に花を咲かせた。

 なかでもブラジルが一番盛り上がったのは女子の体操だ。レベッカ・アンドラーデ。この22歳の小柄な黒人女性がブラジル中を熱狂させた。ブラジルはこれまで女子の体操でメダルを獲ったことは一度もなかった。それを彼女はまず個人総合で銀、そして跳馬では金と、なんと一度に2つものメダルをもたらしたのである。特に彼女がゆかの演技で、ブラジルのファベーラ(スラム)で生まれた音楽を使った時には、誰もが拍手喝采し、その演技に見とれた。

 ブラジルは今、東京五輪に対しての大きなサウダージの中にある。サウダージとは、愛するものを失った時にブラジル人が感じる郷愁だ。これからはまた現実に戻らなければいけない。

 それでもこの約2週間で、人々は多くの勇気をもらった。久しぶりに喜びと感動とドキドキする気持ちを取り戻した。この大会を開く勇気を持った日本人に、ブラジル人は感謝している。

イスラエルにとって東京五輪が特別な大会となった理由

リカルド・セティオン(イスラエル)

 東京五輪が開催されていた2週間あまり、私は前半をブラジルで、後半をイスラエルですごすことになった。イスラエルにとって東京五輪は、スポーツの祭典以上の意味を持つものとなった。その理由は開会式にある。

 1972年のミュンヘン五輪で、パレスチナの武装組織が選手村に侵入し、イスラエルの選手とコーチ11人を殺害した。彼らはまず抵抗した2人を殺害すると、刑務所にいる仲間の解放を要求して残る9人を人質にとった。その後、西ドイツ政府との間でさまざまな交渉があったものの、結局、銃撃戦の末に人質は全員が死亡した。世にいうミュンヘンオリンピック事件である。

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