須崎優衣が五輪出場「0.01%」からの金メダル。「一度はあきらめかけた夢の舞台だった」 (3ページ目)

  • 松瀬 学●文 text by Matsuse Manabu
  • photo by JMPA

 その世界選手権で入江が途中で敗退し、メダルを逃した。代表権争いが白紙に戻った。その年12月の天皇杯でリオ五輪金メダルの登坂絵莉と入江を破って優勝し、五輪代表の座を懸けたアジア予選の出場権を獲得した。

 座右の銘が、『人事を尽くして天命を待つ』という。アジア予選は新型コロナの影響で今年4月に順延され、そこで須崎は勝った。東京五輪出場を決めた。五輪延期の1年間は「新しい技に挑戦したり、レスリングの楽しさを実感したりする時間でした」という。強いアスリートとは、何事にもポジティブなのだ。

 ミックスゾーン(取材エリア)には吉村コーチも来てくれた。どん底からの2年間で愛弟子が成長したところは?と聞けば、名コーチはしみじみと漏らした。

「心の強さがすごく生まれて、人間として成長したのかなと思います」

 言葉が途切れる。涙声でこう、続けた。

「私はホッとしたというのが正直なところです。やっぱり、思い返すと、ちょっと込み上げるものがあって......。優衣は中学2年で親元を離れてきて、本当にオリンピックで金メダルを獲るぞという強い思いを持っていて......。ご家族のことを思うと、本当に、本当によかったなと思います」

 実は吉村コーチは須崎と東京五輪を『第一章』の集大成と位置づけていたそうだ。

「一応、ふたりではこれで第一章は終わりです。次の第二章はまた、彼女自身が考えて、レスリングはもちろん、いい人生を歩んでいってほしいと思うんです」

 いい選手には必ず、いいコーチがついているものだ。須崎は「吉川コーチに金メダルを」と言い続けてきた。

 繰り返すが、「0.01%」からの「100%」の金メダルだった。これまたミックスゾーン。須崎は笑顔で言った。

「ホント、一度あきらめかけた夢の舞台だったんですけど、コーチや周りの方々のお陰でここまで頑張ってくることができました。0.01%の可能性から一歩ずつ。ホントもう、感謝です」

 次はパリ五輪ですか、と聞けば、22歳は「はいっ」と即答した。

「そんな簡単な道のりではないと思うので、しっかり、もっともっと強くなって、次も金メダルを獲れるよう頑張ります」

 ひょっとして、また日本選手団の旗手をしますか、と冗談で聞けば、金メダリストは困惑顔で隣の日本オリンピック委員会(JOC)の広報スタッフの顔を見た。

「2大会回連続ってないですよね」

 日本選手団の旗手に笑顔が広がる。さあ、第二章はどんな、五輪連覇ストーリーになるのだろう。

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