須崎優衣が五輪出場「0.01%」からの金メダル。「一度はあきらめかけた夢の舞台だった」 (2ページ目)

  • 松瀬 学●文 text by Matsuse Manabu
  • photo by JMPA

「日本選手団の一番前を歩かせてもらった時はホント、気合が入りました。絶対金メダルを獲って終わるぞって」

 須崎はルーティンワークとして、試合前、必ず、吉村コーチと作戦を突き合わせる。決勝戦の相手がリオ五輪銅メダルの孫亜楠(中国)。スタートの構えから手の位置、頭の角度、姿勢......。吉村コーチの述懐。「もちろん、アンクル(足首)をとったら絶対離さない」とも。

 須崎の試合前の最後の練習相手は吉村コーチだった。その決勝戦。須崎は強かった。いや、強すぎた。作戦通りに体が動いた。スピーディーだった。プレッシャーをかけて前に出る。崩して攻める。孫亜楠がバランスを崩した刹那、後ろに回ってポイントを先制。流れるように動き、アンクルホールド。そのまま2回、3回、4回と相手を転がした。

 須崎は「執念でした」と振り返った。開始1分36秒、テクニカルフォール勝ちだ。初出場の五輪の舞台において、失ったポイントはゼロの、4試合連続テクニカルフォール勝ちで金メダルを奪取した。

 右手でガッツポーズだ。22歳は「ホントにうれしい気持ちと、やっと金メダルを獲ることができたという達成感でした」と述懐した。

 須崎は6歳から、父の影響でレスリングを始めた。才能は文句なしだ。小学5年生の時、将来有望選手を集めた東京・味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)での合宿に参加し、充実した施設に刺激を受けた。NTCとは、五輪選手の『虎の穴』みたいなところである。中学2年の時、NTCを拠点として全国のトップアスリートを養成する「エリートアカデミー」に入った。

 そこで、須崎が出会ったのが、かつての世界選手権覇者の吉村コーチだった。ふたりの『東京五輪金メダルへの道』が始まった。決して平坦な道のりではなかった。2018年11月、須崎は練習中に左ひじのじん帯を断裂した。吉村コーチからは「心はけがしないように」と諭された。

 海外では敵なしながら、国内では苦しんだ。須崎は2019年7月の世界選手権選考会で入江ゆきに敗れ、五輪出場の可能性は限りなくゼロに近くなった。入江が世界選手権でメダルを獲れば東京五輪代表となったからだ。須崎は「どん底でした」と吐露する。吉村コーチからはこう声をかけられた。「チャンスは0.01%ぐらいかもしれないけど、チャンスが巡ってきた時に戦える準備はしよう」と。

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