才媛アスリート・小平奈緒がオランダ留学で学んだ本場の「語学と殺気」 (3ページ目)

  • 宮部保範●取材・文 text by Miyabe Yasunori
  • photo by Kyodo News

──オランダでの生活ですが、1年の予定を2年にしました。平昌五輪に向けての流れに、どのような変化があったのでしょうか。

「オランダに行ったのはソチ五輪が終わって2ヶ月後の4月(2014年)でした。1年のつもりでしたが、滞在2ヶ月くらい経った6月頃に父からメールが届いて、『1年で終わりにするには、もったいない。奈緒の人生は、神様がくれた時間。思う存分悔いのないように使え!』って。

 当初1年の予定だったのは、平昌までの4年を意識していたからです。帰国後の3年は日本で準備しなければと、人生をスポーツだけに当てはめていた。でも、どうせ生きるんだったら豊かに生きたいなって思い始めたんですよね。メダルとかオリンピックというお祭りのために生きるんじゃなくて、人生の中のその一瞬を楽しむためのスポーツと歩いていきたいと思えた」

──ソチやバンクーバー五輪の時とは気持ちが変わったと。

「ソチの時は、かなり自分自身に責任を感じてしまっていたというか、先輩たちがゴッソリ抜けてしまった中で、私がメダルを獲らなきゃっていう気負いがありました。そんな責任、全然感じなくてもいいのに、責任を感じて自分を苦しめていたと思います。スポーツを楽しくてやっているはずなのに、誰のためにやっているのかなって。あげく、オリンピックってこんな舞台だったかなって」

──バンクーバーの時はまた違った感覚でしたか。

「初めて出たバンクーバーの時はまだ、いろいろ思い悩むレベルではなかった。なので、オリンピックは運動会のような気持ちでいたんですが、バンクーバーからソチまでの道のりっていうのは、ちょっと苦しかったですね。

 けれど、ソチの後にオランダで2年間過ごしたことで楽になれた。オランダの人たちは何か大変なことが起きても『大丈夫だよ、そのうちよくなるよ』って。えっ、これ絶対今やらなくちゃマズイでしょって時にも、『あ、大丈夫、後でね』って(笑)。日本人ってこだわりが強くて、完璧を目指すことが美徳だったり、がんばるところを見せているのが良しとされることがあったんですが、オランダでは個人が着実に成長しているか、というところにフォーカスしている」

──オランダのスケートを学ぶ生活の中で、どんな気づきがありましたか。

「マリアンヌ(・ティメル)から『奈緒はどうしたいのか』っていうのをよく聞かれたのには驚きました。思えば、オランダに行く前は、結城先生が提案してくださることを、そのまま受け入れることが多かった。でも、オランダから帰国してからは『こうしたいんですけど』って、自分の意見を言えるようになりました」

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