金メダリスト・小平奈緒の性格を激変させた「国立大学入試の集団討論」 (3ページ目)

  • 宮部保範●取材・文 text by Miyabe Yasunori
  • photo by Sankei Visual

──子どもの頃に心を揺さぶられたことが動機だとしても、信州大学に入るまでに道を逸れたりせず、ずっと最初の感動を持ち続けられたのはすごいですね。
 
「たぶん、その気持ちを持ち続けられたのは、目的がスケートだけじゃなかったからだと思うんです。学校の先生になって、学ぶことの面白さを子どもたちに教えたいという思いがありました。信州大学には教育学部もあるし、結城先生もいるし、というのがあって目指してこられたのかなと」

──決心は揺らがなかったんですか。

「やっぱり、全中で優勝したりインターハイで勝った頃、実業団の選手を見ると、キラキラしていて格好いいなと思う瞬間もありました。実業団は環境にも恵まれていて、競技を続けるにあたって基本的に不安がないと思っていたので、ちらっと魅力を感じるところもありました」

──けれど、そちらの道は選ばなかった。

「人生を考えた時、学び続けられる環境って、やっぱり私にとって最高のものじゃないかなって考えたんです。それからはもう揺らぐことなく、信州大学に決めました」
 
──伊那西高校時代は大学受験に向けどのような準備をしましたか。
 
「受験した学部は教育学部だったのですが、推薦があって、試験は集団討論と実技でした。高校での勉強は、推薦入試の条件にある評定平均(内申点)をとって入試を突破できるようにやっていました。評定をいい位置に保つことに徹していたんですが、圧倒的に数学が苦手でした(笑)」

──入試本番に向けては、どのような課題がありましたか。

「実技はともかく、私にとって集団討論は難題でした。それまで、小学生や中学生の時はとくに、自分が何をしたいのかすら主張できなかった。いつも父や母の背中に隠れていましたから。まず、人見知りを突破しないとならない。

 対策として、集団討論で論理的に話せるように小論文の勉強をしました。高校の先生からは、まず自分の意見を述べて、さらにその反対意見も考えて述べることで議論を盛り上げていくという手ほどきも受けました。気負わずに、日頃から考えていることを丁寧に話すことができればいいとのアドバイスもあって、ひとチーム7〜8人での受験本番では初めて人見知りを突破できたと思います」

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