柔道でオリンピックを目指していた栃ノ心はなぜ角界入りを決めたのか (4ページ目)

  • 武田葉月●取材・構成 text&photo by Takeda Hazuki

 その時から、サンボも教わるようになりました。サンボというのは、ロシアで生まれた、柔道とレスリングを合わせたような競技です。そうして、私は柔道とサンボの練習を日々重ねて、ヨーロッパジュニア選手権にも出場。そこで、いい成績を残していたんですよ。

 その頃、相撲というスポーツは、ほとんど知りませんでした。でも、私の柔道やサンボの試合を見ていてくれた方の推薦もあって、私は日本の大阪で開催された世界ジュニア相撲選手権に、グルジア代表で出場することになりました。2004年のことです。

 相撲を本格的に取ったことはなかったけれど、当時、私はまだ17歳。「日本に行ってみたい」という単純な興味だけで、出場することを決めたんでしょうね。

 初めて出場したこの大会で、私は個人戦で3位になりました。団体戦では、日本に次いで2位。もうビックリですよ。次の年もその大会に出て、結果を残しました。

 とはいえ、当時の私にとって、相撲はあくまでサブ。"本業"の柔道でもっといい成績を残して、将来はオリンピック選手になりたい――この思いはずっと変わりませんでした。

 だけど、その頃のジョージアは、経済など、いろいろな面で恵まれているとは言えなかったんですね。オリンピックに出て、たとえメダルを獲ったとしても、必ずしも将来を保証されるわけではない。

 だから、私はジョージアにいた学生時代に、歯科技工士の資格も取っているんです。柔道で生活できなかった時、「食いっぱぐれないように」と思って(笑)。

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