柔道でオリンピックを目指していた栃ノ心はなぜ角界入りを決めたのか (3ページ目)

  • 武田葉月●取材・構成 text&photo by Takeda Hazuki

 大阪府立体育会館のボルテージも最高潮に達していました。

 立ち合いから、すべてにおいて勝っていたのは、貴景勝のほうでした。私は右からカチ上げていったのですが、貴景勝は迷いなく頭から当たってきて、それを跳ね返し、突き押しで私を土俵際まで追い込みます。そしてそのまま、私は押し出されてしまいました。

 若さとパワー。加えて、「大関をつかみ取るんだ」という意欲。貴景勝に完敗を喫した私は、大関在位5場所で、その座を失ってしまったのです。

 私が生まれたのは、ジョージア(元グルジア)の首都・トビリシからそう遠くないムツヘタという田舎町。ジョージアといっても、日本人にとっては、馴染みがないかもしれませんね。私が生まれた1987年頃はまだ、ソ連(現ロシア)の統治下にありましたし。

 私は、ジョージアの山が大好きで、とくにカフカスの山深い地域は最高です。そこには、車では行けないような、すごく小さな町があるんです。途中で車から降りて、そこから馬に乗ったり、歩いていったりして、やっとたどり着くことができます。

 その小さな町には、先住民族が住んでいて、彼らはチーズや野菜などを作って、そうしたナチュラルなものを食べて暮らしています。それが、すごく美味しいんですよ。また、そこに住む人たちは、本当に優しくて、気持ちも強くて、普通のグルジア人とは違う、自分たちの文化を持っています。

 さて、私の話に戻しましょうか。

 お爺ちゃんの影響を受けて、私が柔道を始めたのは、たしか6歳くらいの時です。でも、いろいろな事情で道場が閉鎖になってしまい、再び柔道を習うようになったのは、12歳の時でした。

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