柔道でオリンピックを目指していた栃ノ心はなぜ角界入りを決めたのか (2ページ目)

  • 武田葉月●取材・構成 text&photo by Takeda Hazuki


ジョージア出身の栃ノ心ジョージア出身の栃ノ心 大相撲では、大関で2場所連続負け越したら、翌場所関脇に陥落するという決まりがあります。つまり、1場所負け越してしまえば(休場なども含む)、すぐに剣が峰に立たされてしまうのです。調子がよかっただけに、その時は本当に目の前が真っ暗になりましたね。

 ただ、幸いにも、翌秋場所では勝ち越し。なんとか「陥落」を免れることができました。そして、続く九州場所でも勝ち越すことができたのですが、年が明けて2019年の初場所では、初日から4連敗。太ももの肉離れが原因で、再び途中休場を余儀なくされました。おかげで、春場所では2度目のカド番に見舞われてしまったわけです。

 その試練の場所。私は、大関として恥ずかしくない成績を残したいと必死でした。

 気持ちは十分ありましたし、実際9日目までに6勝を挙げて、勝ち越しは見えている状況でした。ところが、12日目に全勝の横綱・白鵬関に敗れ、翌13日目にも横綱・鶴竜関相手に黒星。14日目には玉鷲関に勝ったものの、千秋楽を7勝7敗で迎えることになりました。

 千秋楽の対戦相手は、関脇・貴景勝です。直近2場所で好成績を挙げていた貴景勝は、私に勝って10勝すれば、大関昇進が確実になります。一方、私は負ければ、7勝8敗と負け越し。翌場所は、関脇に陥落となります。

 つまり、2人とも"大関の座"を賭けての一番だったわけです。なかなか残酷な取組ですよね......。角界の先輩としては負けられない一番ですし、「絶対負けるものか」と思っていましたよ。

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