松村千秋が語る中部電力カーリング部「私の話をもう少し聞いてほしい」 (5ページ目)

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro
  • 藤巻 剛●撮影 photo by Fujimaki Goh

――18歳で中部電力に入って、いつの間にかチームでは最年長。当初、そんな自分を想像できましたか。

「本当にいい経験をさせていただいているのですが、想像していたような時間の進み方はしていないです」

――他のメンバーにも聞いたのですが、カーリングの女性選手は五輪後に結婚されることが多いのですが、松村選手もそういうことを考えていますか。

「私、二十歳の頃は『22歳で結婚して、24歳で子どもを産んで』など、相手がいるとかいないとか関係なく、そんな願望を(周囲に)無邪気に言っていたんです。それで、『オリンピックが終わったあとに結婚します!』とか言ってみたかったんですけど、(五輪トライアルで2回負けて)何度も覆されてきたからなぁ......。

(ソチ五輪のトライアルで負けて)『22歳で』という願望を打ち消されて、(平昌五輪のトライアルでも負けて)26歳でのチャレンジもダメで。もう27歳になりました。だんだん(結婚については)よくわからなくなってきました。20代のうちには結婚したいな、とは思っているんですが、どうなんでしょう......。オリンピックに出られたら、何か変わるのかな? まずは五輪に出られるようにがんばります」

――2018年平昌五輪には、実際にその舞台に足を運んでおられました。外から見て、どんな感想を抱かれましたか。

「新聞などで評論の仕事もさせていただいたこともあって、(平昌五輪では)多くの試合を見ました。現地でも男女合わせて5、6試合ぐらい見ましたが、アリーナの感じや、その盛り上がりを見て、やっぱりあそこの舞台に立つことはすごいことなんだなと思ったし、何よりも選手たちが楽しそうだったのが印象的でした」

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