中部電力・松村千秋が涙。目前の五輪出場を逃した瞬間の悲痛な思い (4ページ目)

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro
  • 藤巻 剛●撮影 photo by Fujimaki Goh

――いい巡り合わせでもあったのでしょうが、中部電力は当時、2014年のソチ五輪出場を最大目標に掲げていました。10代最後の貴重な時間をカーリングに捧げることについて、迷いはありませんでしたか。

「もちろん、ありました。小さい頃に『ポテコ』という柴犬を飼っていたこともあって、ずっと犬好きで、将来はトリマーやドッグトレーナーになりたいと思っていたんです。だから、高校を卒業したら、高崎にある専門学校に進学しようと考えていたんです。

 でもそんな時、中部電力から声をかけてもらって。それから、いろいろな人の意見やアドバイスを聞いているうちに、少しずつ(中部電力で)挑戦してもいいかな、という気持ちになっていきました。とくに高校3年生の時の担任の先生から、女性で柔道部の顧問をしている黒帯の怖い先生だったんですけど、『好きなものを仕事にすると、イメージと違った時に苦しむこともあるよ』とアドバイスをもらって。それが決め手というか、そのことは今でも覚えています」

――迷った末の入部とはいえ、そこから本格的にソチ五輪出場を目指していくことになります。そこまでの道のりは、自分の中でしっかりと見えていましたか。

「今考えると、そこまで明確なものはありませんでした。ただ、私が入社する少し前までは、今のように強いチームがたくさんあるわけではなくて、(2006年トリノ五輪、2010年バンクーバー五輪の日本代表である)チーム青森に勝てば、オリンピックに出られるという状況だったこともあって、しっかり練習に取り組めば『チャンスはある』と思っていました。実際は、甘かったですけど......」

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