2020.01.29

思い出深い激闘。2004年アテネ五輪
「体操ニッポン」復活の名場面

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

 最初のゆかだけに出場した中野は「冨田さんのコールマンが決まった時は鳥肌が立ちました」と言う。その離れ業をダイナミックに決めて完璧な演技で終えた冨田は、着地もピタリと決めて両手を突き上げた。得点は、全選手中最高の9.850点。彼の完璧な演技、そして鉄棒の上位3位までを日本勢が占める攻めの姿勢は、6大会ぶりの男子団体制覇に花を添えるものだった。

 2000年シドニー五輪にエースとして出場した塚原は、今回の大会前に鉄棒でミスが出ていたため、その予選に出ることができず、個人総合で戦う権利を失っていた。その塚原は、「団体戦は体操競技の中でもいちばん大きな存在だと思います。ほかの種目は、あくまでもそこに付いている、という感じ。今回は団体の金メダル獲得がチーム最大の目標でした」と話した。

 加納監督も「選手たち全員が、団体戦で金メダルを獲りたい、という気持ちになってくれた成果です。プレッシャーにもぜんぜん動じていませんでした。最終演技者の冨田でさえ、最も重圧のかかる場面で着地をピタリと決めましたから。それを見ていた私は、脚が震えましたけど……」と言って笑顔を見せた。

 この勝利でひと息ついてしまったのか、2日後の個人総合では冨田は6位、米田は11位に止まった。

 だが日本は、1カ国最大2枠で8名のみが出場できる種目別決勝では、ゆか、あん馬、平行棒、鉄棒に2名ずつ、つり輪に1名が出場した。そして冨田が平行棒で銀メダル、あん馬では鹿島が、鉄棒では米田が銅メダルを獲得した。

 アテネ五輪は”体操ニッポン”の復活を強く印象づけた大会だった。

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