2020.01.29

思い出深い激闘。2004年アテネ五輪
「体操ニッポン」復活の名場面

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

 演技に挑んだのは、予選で全選手最高の9.800点を出した米田と、9.737点の鹿島、9.775点の冨田だった。「鉄棒は得意だから少しは安心していたが、最後まで何があるかわからないので大きなプレッシャーがかかっていた」と言う加納監督が、「鉄棒では絶対に失敗しない選手」と信頼して送り出した3人だった。

 トップバッターは米田。「最初のゆかの前はすごく緊張してやりたいことを何もできず、気持ちを落ち着かせるので精一杯でした。でも、鉄棒の前は『ここが勝負だ』と演技をする前から思っていたので緊張しなかったし、アメリカのふたりが失敗したので『これなら行ける』と思いました」と言うように、9.787点を記録してあとに続くふたりを勢いづけた。

 次の鹿島は「鉄棒に入る前から米田は完璧に決めると思っていたけど、そのとおりにやってくれました。緊張はしたけれども、自分たちにできることをやるしかないので演技に集中し、着地も今までやってきたことが決まりました」と振り返るとおり、最後もピタリと決めて9.825点。優勝を大きく手元に引き寄せた。

 最後の冨田は「演技に入る前は『絶対に最後まで(やり)通す』と思っていました。コールマンが不安だったけど、まずは(鉄棒を)持つことを考えました」と言う。

 加納監督は、平行棒が終わった時に携帯電話で付き添いのコーチへ連絡を取り、最終演技者の冨田に、価値点が10点の演技内容を9.9点に落として安全に行くよう指示を出していた。だが、8.962点以上を出せば優勝という状況だったにもかかわらず、冨田は価値点を落とさずに挑んだ。