「自分より人気があるんじゃないか?」御嶽海が嫉妬したのは母だった (2ページ目)

  • 武田葉月●取材・構成 text&photo by Takeda Hazuki

 でも、この新三役昇進は、地元・長野の人たちに喜んでいただけたようです。近年、長野県は「力士不毛の地」と言われていて、幕内力士が誕生したのは久しぶりのことでした。長野県出身の三役力士となると、1932年春場所の高登関以来、84年ぶりなんだそうです。

 この頃くらいからでしょうか。お母さんや地元の人たちが、長野から大勢で僕の応援に駆けつけてくれるようになったのは。

 お相撲さんは、たいてい家族が観戦に来るのを嫌がります。だから、家族は来るとしても、本人に伝えないでこっそり来たり、遠いところから見ていたりするケースが多いんです。

 打って変わって、僕の応援団は大騒ぎしているから、すぐにわかる。真ん中で『御嶽海』の四股名入りのTシャツを着て、手を振ったりしているのが、お母さんです(笑)。

 大学時代もそうだったんですが、僕は家族や親しい友だちなんかが応援しに来てくれると、すごくがんばれるタイプなんです。「恥ずかしい」なんて気持ちはありませんよ。

 20歳になった時、日本とフィリピンどちらかの国籍を選ぶことになって、僕は日本を選びました。日本人・大道久司なんですが、そういうところはフィリピンの血が入っているんでしょうね(笑)。

 2017年春場所、三役(小結)に戻った僕は、7月の名古屋場所で関脇に昇進しました。ここから5場所連続で関脇を務めたことから、次第に「大関候補」と言われるようになってきました。

 といっても、関脇での成績は最高で9勝。つまり、10勝以上のふた桁勝利を挙げたことは、一度もないんです。それが、その頃の僕の実力でした。

 そうして2018年春場所、ついに負け越してしまい、翌夏場所は小結に番付が下がりました。

 でも、この時の負け越しで、目が覚めましたね。今まで「関脇を維持する」ということばかりを意識して、守りの相撲になってしまっていた。

「御嶽海の相撲は、思い切りのいい、力強い突き押しだったはず!」

 そう意識を切り替えて、夏場所で9勝を挙げ、7月の名古屋場所で関脇に復帰した僕は、大いに張り切っていました。

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