2019.11.03

旭天鵬が母国で批判も帰化申請。
モンゴル人初の部屋付き親方になった

  • 武田葉月●取材・構成 text&photo by Takeda Hazuki


2006年に結婚した旭天鵬。右は恵子夫人 そしてその翌年、僕は結婚して、家族を得ました。まもなく長女、長男が生まれて、「この子たちが、お父さんがお相撲さんだったとわかるまで、相撲を取りたい」という新しい目標ができたことは大きかったですね。

 気がつけば、30代半ばになっていました。17歳で来日して力士になった時には、「30代なんて、どんだけオッサンなんやろ?」と思っていたけれど(笑)、実際にその歳になってみると、それほどオッサンじゃない自分がいました。

 体には悪いところがないし、大きなケガもない。ごはんがおいしく食べられて、食欲も落ちない。丈夫な体に生んで育ててくれた両親には感謝しかない、と思いましたね。

 そうしているうちに、思いがけないことが起きたのです。

 2012年春場所(3月場所)後、師匠の大島親方の定年退職にあたり、僕たち大島部屋所属の力士は、友綱部屋へ転籍。4月から、新しく友綱部屋の力士としてスタートを切ることになったのです。旧大島部屋のメンバーとしては、友綱部屋に迷惑をかけるわけにはいきません。

 だから場所前、僕は旧大島部屋の弟弟子を集めて、「恥ずかしくない成績を残そう」と決起集会を開きました。

 それがよかったのか――。

 夏場所、5日目まで3勝2敗という成績だった僕は、6日目からなんと10連勝。千秋楽、同じ星の栃煌山と優勝決定戦を行なうことになったのです。

 作戦などはありません。ただ思い切っていくだけ。後悔だけはしたくなかった。

 行司が軍配を返し、気がついたら、栃煌山が土俵を割っているじゃありませんか! そのときの記憶は完全に飛んでいて、それ以上覚えていないんです(笑)。

「きょくてんほう~」

 勝ち名乗りを受けて花道を引き揚げていく時、僕の顔は涙でぐちゃぐちゃでした。付け人たちも、みんな泣きじゃくっています。

 本当に優勝したんだ――。

 オープンカーに乗っての優勝パレードでは、白鵬関が旗手を務めてくれました。

 今でもこの優勝だけは、夢だったんじゃないかと思うほどです(笑)。