エペ世界1位の見延が考える相乗効果「後輩には隠すことなく教える」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

 こう話す見延が国際大会に出場するようになったのは08年から。当時はゴルバチュクコーチの指導をなかなか理解できず、12年北京五輪出場を逃したのを機に、「日本にいては技術が向上しない」と考えてイタリアへ単身で武者修行に向かった。

「そこで学んだことが本当に新鮮でした。日本でずっと教えられていたこととは真逆なこともあった」

 イタリアで驚いたことのひとつに、試合での足さばきがある。日本は両足を前後に構えてから、動き出す時は前に出ている足から動き出すのが常識で、後ろ足から動き出すのはタブーになっていた。だが、イタリアでは「どちらの足から動き出してもいい」と言われた。

 様々な経験から「正解はひとつではないんだ」ということを学び、日本の技術はフルーレが基本だったため、エペには当てはまらないものもあると気づくことができた。

 見延がフェンシングを始めたのは福井県武生商業高校に入学してからで、各種目1名ずつ6名が出場したリオ五輪では、男女フルーレ以外の男女エペとサーブル代表4人は同校の卒業生が占めた。

 当初は、フルーレとエペの両方をやっていたが、練習でたまに顧問の先生が出かけて不在の時など他の選手を誘ってエペを楽しんでいた。だが、始めて数カ月後の高校総体の県大会で2位になり、自分に合っていると思い始めたのがエペに集中するきっかけだった。

「(フルーレなど)攻撃権がある種目だと、僕が突いているのに負けになったりとか、突かれているのに僕が勝ったりとか、理解できないところもあったんです。それに比べればエペは先に突いた方が勝ちとシンプルだったのでスッキリできた」

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