2019.09.29

横綱・鶴竜の転機。「弱い自分を
吹っ切ることができた」瞬間とは?

  • 武田葉月●取材・構成 text&photo by Takeda Hazuki

 1場所で十両に復帰した私は、2006年九州場所、念願の新入幕を果たします。気持ちが安定してきたこともあるのでしょう。体重は132㎏まで増えていました。

 2008年初場所(1月場所)では、初めて三賞に選ばれ、技能賞をいただくこともできました。けれども、白鵬関はその前年の名古屋場所(7月場所)、22歳で69代横綱に昇進。私も2008年に入ると幕内上位で安定してきて、毎場所のように白鵬関との対戦があったのですが、まったく勝てない状況が続きました。

 そうして数年が経ち、2012年春場所(3月場所)、「大関取り」がかかっていた私は、初めて勝った初場所に続いて白鵬関から白星を挙げ、12勝3敗で優勝決定戦に出場。優勝こそ逃してしまいましたが、場所後、大関昇進が決まりました。

 ところがこの時、大関はすでに5人いて、私が昇進したことで史上初の6大関時代へと突入。その次(横綱)を狙う……ということは、なかなか難しい状況になったのです。

 横綱昇進のチャンスが巡ってきたのは、2014年初場所。初日、平幕の隠岐の海に敗れたものの、その後に14連勝。ついに、翌場所での「綱取り」が視野に入ってきたのです。

 私は28歳になっていました。2012年には日馬富士関も横綱に昇進していましたし、白鵬関には大きく差を付けられてしまったけれど、このチャンスを逃すわけにはいきません。

 運命の春場所――。前の場所に続き、3日目に隠岐の海に敗れてしまいましたが、4日目から12連勝。14勝1敗で初優勝を果たし、横綱昇進を決めたのです。

 昇進を確実にした時、私は「うれしいです」と言ったのですが、実際は不安が先に立ち、「この先やっていけるのだろうか……」という気持ちのほうが強かったですね。

 実際、横綱になってみると、その立場の重さ、苦しさがよくわかりました。そして2015年春場所、私は左肩を負傷。2場所連続の休場に追い込まれます。致命的なケガをしてしまったショックや出場できない悔しさで、悶々とした日々が続きました。

 だから、なんとかケガを克服して、その年の秋場所(9月場所)で横綱として優勝できた時のうれしさは格別でしたね。「やっと使命を果たせた……」という安堵感のほうが強かったかもしれません。