コロンビア国民の悲願達成。22歳ベルナルがツール・ド・フランス制覇 (2ページ目)

  • 山口和幸●取材・文 text by Yamaguchi Kazuyuki
  • photo by A.S.O.

 そして極めつけは、大黒柱の離脱だ。ツール・ド・フランス開幕前、今度はフルームがレースの試走中に壁に激突し、大腿骨など複数カ所を骨折。今年ツール5勝目を目指していたフルームの夢は、ここで潰えた。

 だが、チームが危機的状況に陥った時、ベルナルが驚異的な回復を見せる。中規模ステージレースのツール・ド・スイスで圧勝したため、チームはツール・ド・フランスにベルナルも出場させることにした。

 大会序盤、ベルナルは常に「僕はトーマスのアシスト役」とコメントしていた。だが、その立場が変わるきっかけが第18ステージで訪れる。

 マイヨ・ジョーヌは、地元フランスのジュリアン・アラフィリップ(ドゥクーニンク・クイックステップ)が死守していた。第18ステージで待ち構えているのは、アルプスの最難関ガリビエ峠。チーム・イネオスは総合5位につけていたベルナルをアタックさせた。

「レースを動かすために、トーマスがアタックしろと声をかけてくれた」(ベルナル)

 この動きをきっかけに、固まっていた有力選手がバラバラとなる。首位のアラフィリップは一時脱落するも、「あらゆるリスクを犯した」下り坂でトーマスなど有力選手に再合流。しかし、アタックしたベルナルは32秒先行してゴールし、総合成績で1分30秒遅れの2位に浮上した。

 さらに続く第19ステージでは、思わぬハプニングが発生する。欧州最高峰のイズラン峠からの下り坂が突如の降雪で危険な状態となり、レースが打ち切りとなってしまったのだ。大会ディレクターはすべての関係車両に、「89km地点のイズラン峠頂上を通過したタイムを総合成績に反映する」と通告した。

 このいきなり変更となったゴール地点を、ベルナルは単独トップで通過。一方、首位のアラフィリップは2分07秒遅れ。その結果、ベルナルが総合1位に浮上してマイヨ・ジョーヌを獲得した。

「なにが起こっているのか、まったくわからなかった。無線で『レースが終わった』と言われ、立ち止まったら監督から『マイヨ・ジョーヌだ』と言われた」

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る