2019.05.04

太田雄貴、北京五輪銀メダル
までの苦闘の道。先輩への想いを胸に

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Tohshimi
  • photo by AFP/AFLO

 この北京五輪に向けて、日本フェンシング協会は6500万円を注いでフルーレ強化に取り組んでいた。03年から男子フルーレナショナルチームのヘッドコーチに就任したウクライナ人のオレグ・マチェイチュクの指導で、太田個人だけではなくチーム力も上がり、北京五輪シーズンは、団体の世界ランキングは5位まで上がっていた。太田は、自分がベスト8に進んだことで、その成果を出せたという安堵にも似た気持ちになれた。そんな心の余裕が、太田をさらに加速させた。

 準々決勝の相手は予想どおりヨピッヒになったが、彼の2回戦はフルタイムの辛勝だったため、太田はヨピッヒの調子はよくないと見た。これまでの対戦で全敗している世界ランク1位に「負けてもしょうがない」という思いはあったが、その反面「勝つならこのタイミングしかない」とも思った。これまでの負けは、前半で一気に離される形だったため、前半を8対10くらいで乗り切れば勝機はあると考えた。

 試合は狙いどおりの競り合いとなり、10対10になった時に「勝てる」と思った太田は、14対12で王手をかけた。次のポイントはヨピッヒだったが、コーチ席のオレグが「ビデオ、ビデオ」と叫び、太田がビデオ判定を要求するとヨピッヒの反則が判明。イエローカード2枚で太田にポイントが与えられ、15対12で勝利が確定した。

 準決勝の相手は04年アテネ五輪銀のサルバトーレ・サンツォ(イタリア)。アテネ五輪決勝の彼の戦いを見て、「4年かけてもあのレベルにはなれない」と感じていた選手に挑んだ。

 太田は、積極的に攻めて5対1と先行に成功。そこから接戦になり、13対14と王手をかけられたものの、勝ち急ぐ相手のスキを突いて14対14として1本勝負に持ち込んだ。そこで「出ていったら負ける」と判断した太田は、自陣での勝負に持ち込むと、相手の攻撃をかわして1本を取って勝負を決めた。

「紙一重の勝負だった」と振り返った太田は、これで銀メダル以上が確定した。だが、接戦続きだった太田に決勝を戦うだけの体力は残っていなかった。それに対して、決勝の相手である、クライブリンク(ドイツ)は圧勝続きで余裕をもって勝ち上がってきていた。太田は結局、9対15で敗れた。