長野五輪ラージヒル団体の金。最強チームゆえに生まれた悲喜こもごも (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kyodo News

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 リレハンメル五輪では補欠だった斎藤浩哉も、W杯で3度の表彰台を獲得するなど力をつけていた。一方、鎖骨を骨折した後の長いスランプから脱して自信を取り戻していた葛西は、W杯第3戦の前に行なったウォーミングアップ中のサッカーで、ふくらはぎを蹴られて負傷。それが癒えたスキージャンプ週間中には足首を捻挫し、同時期に調子を落としていた岡部と共に、スキージャンプ週間の終了後にチームを離れて早めに帰国した。

 長野五輪のスキージャンプ代表には若手の吉岡和也や宮平秀治、ベテランの須田健二を加えた8名が選ばれていたが、シーズンの調子や過去の実績からすると、船木、原田、斎藤が有力で、それに続く4人目が葛西か岡部のどちらかになるような状況だった。

 ラージヒル団体に先立って行なわれた2月11日のノーマルヒルには葛西が出場して、2位の船木、5位の原田に次ぐ7位。4日後のラージヒルには葛西の代わりに岡部が出場し、優勝した船木と3位の原田に次ぐ6位に入った。

 両方に出場した斎藤がノーマルヒル9位、ラージヒルは2本目に進めない47位に終わったことで団体のメンバー選考はさらに混迷を極めたが、結局は斎藤と岡部が選ばれ、葛西はメンバーから外れた。当時の小野学ヘッドコーチは、岡部の"パンチ力"と斎藤の"安定した技術"に掛けたのだ。
 
 そして迎えた2月17日のラージヒル団体は、朝から激しい雪が降る中で行なわれた。中断を挟んだ1本目は、1番手の岡部がドイツに次ぐ2位につけ、2番手の斎藤が130mのジャンプで順位を1位に上げた。

 だが、3番手グループのジャンプが始まると降雪がひどくなり、助走路の溝に雪がたまって選手の助走スピードは徐々に落ちていった。日本のふたつ前を飛んでいたオーストリアの3人目は104.5m、ひとつ前のドイツの3人目は96mにとどまり、原田に順番が回ってきた。

 そのときにはもう、コーチボックスでスタートの合図をするコーチの姿が、選手からはほとんど見えない状態になっていた。そんな中でスタートした原田の助走速度は、ひとり前のドイツ選手より1.7キロも遅い87.1キロ。飛距離も79.5mで、リレハンメル五輪の大失速を再現したようなジャンプになってしまったのだ。

 そのジャンプが響き、日本は1本目が終わった時点でトップのオーストリアと13.6点差の4位。小野ヘッドコーチは、3番手のグループで助走速度がもっとも速かった選手と、もっとも遅かった原田とで3.4キロの開きがあるのは不公平だと、そのグループの飛び直しを求めた。しかし抗議は実らず、1本目が終わって数分後には2本目が開始された。

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