初場所で進退をかける稀勢の里。
いま思い出される「先代師匠の言葉」

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Kyodo News

 稀勢の里の父・萩原貞彦さんは、思わぬ休場となった息子についてこう語った。

「今場所の前に『優勝』と言っていましたが、デリケートなところがある人間ですからね。いろいろなことを考えて、プレッシャーを感じていたのかもしれません」

 初めての「ひとり横綱」という重圧はもちろんだが、右上手を引く相撲が少なく、親方衆から左差しに頼る相撲内容を批判されたことに対しても、「本人としても右を気にしながら相撲を取っていたのかもしれません」と、心情を思いやった。

 一方で、横綱審議委員会の北村正任委員長(毎日新聞社名誉顧問)は、「横綱の第一の条件である"強さ"が満たされない状態が長期にわたっており、これを取り戻す気力と体力を持続できるか心配している」と、復活への不安を指摘した。

 初場所が厳しい戦いになることは間違いないが、精神的に苦しい土俵は前にもあった。先代師匠の鳴戸親方(元横綱・隆の里)が急逝した、2011年の九州場所だ。

 初日の6日前、11月7日の朝稽古後に、師匠は急性呼吸不全でこの世を去った。4日後の葬儀に参列し、稽古もままならない状態で初日を迎えた稀勢の里だったが、10勝5敗と勝ち越して大関昇進を決めたのだ。

 その後も、横綱昇進までに何度も壁にはね返されながら、「相撲の美しさは、勝っても負けても正々堂々の姿勢にある」という師匠の言葉を胸に、あきらめずに真っ向勝負を貫いて大相撲の最高峰に上り詰めた。こうした過酷な経験が、今の逆境を乗り越える糧になるはずだ。

 部屋関係者によると、2度目の優勝の代償となった左上腕部のケガは、完全とは言えないものの回復しているという。九州場所を休場する原因になった右膝の捻挫も、幸い重傷ではないという。

 さらに稀勢の里自身、「体調がよかったにも関わらず、こんな成績になった理由がわからない」と漏らしているというが、大切なのは重圧に負けない精神力だ。生前、先代の鳴戸親方は、東の正横綱だけが座れる東支度部屋からの風景を、「これほどいい眺めはないですよ。萩原(稀勢の里の本名)にもこの景色を見せてやりたい」と何度も口にしていた。今の稀勢の里に必要なことは、綱を締めた男だけに許される支度部屋の景色を楽しむ"心の余裕"かもしれない。

 重要なのは、12月2日から12月22日にかけ、長崎県長崎市から茨城県土浦市までを巡って行なわれる冬巡業。初日から、あるいは途中からの参加でも、誰よりも汗と泥にまみれて稽古を重ねることができるかに尽きる。すべての関取と稽古ができる巡業で、プライドをかなぐり捨てて土俵に集中できれば、相撲人生の危機を脱し、力士生命をつなげる力になるはずだ。

 ピンチをチャンスに変える――そんな初場所を期待したい。

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