小平奈緒の平昌五輪金メダルの裏にあった、「コーチの心配性」 (5ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA

 でもレースの時は実際、体がグッと前にいきそうになってちょっと戻したタイミングで鳴ったので、スタートは100分の4秒くらいは遅れています。

 500mのレースの日は、韓国にいた20日間で気圧が一番高く、『今日はタイムが出ないだろう』と予想したとおり、前半の選手はみんな伸び悩んでタイムを出せなかったですが、その中で36秒94を出したというのは本当に強かったと思うし、内容的にも本当にいいレースをしたと思います」

 オランダからの帰国後2年間は順調なようだが、不安になったことはいっぱいあったと結城は苦笑する。17年1月にはシーズン中にもかかわらずブレードを変えると決断した時や、五輪シーズン初戦の日本距離別選手権の1000mでゴール直前に転倒した時、「1000mは伸びてきているはずなのにどうしてかな?」と考えることもあった。

「でも、お先真っ暗という不安はなかったと思いますね。小平自身も常に課題が見つかったことを次へのモチベーションにしていたから、外から見れば余裕を持っているように見えたかもしれません。でもやっている方は必死。今でもそうですけど、見通しは立っていても心配するのが僕の役割なので。そんなに余裕を持ってやっていなかったけど、小平自身は割と安閑としていたかもしれませんね。そういう心の持ち方が、ソチ五輪の時とはまったく違っていたと思います」

(つづく)

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