小平奈緒の平昌五輪金メダルの裏にあった、「コーチの心配性」 (4ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA

 ただ、本人としても周りの流れとしても、そのシーズンは1000mでは転倒した以外負けていないので金メダルがチラついていたと思うし、銀で悔しいという感じが少しありました。それが500mで力みにつながらないといいなと思ったので、小平には500mまでの3日間をどう過ごすか、3種類のパターンを示したんです。結局、いつもと同じでとくに新しいことをしないで、調整パターンを変えないというところに行き着きました」

 小平は1000mを終えたあと、1500mの滑りが体に染みついてしまっていたと振り返っていた。

 そんなこともあり、いつもと同じように男子の山中大地(電算)と練習をさせようと、レース前日にはあえて女子500mの練習時間には滑らず、男子も滑れる時間にずらして練習をさせた。

 これまでは、公式練習は翌日滑る種目の選手だけだったが、幸運なことに女子500mの公式練習のあとに他の選手も滑る時間枠ができたのだ。そこでスタート練習をやった時、100mまで全力で行く山中に対して70mまでにした小平は、50mくらいまで食らいついていた。ここで小平はいつもの滑りを取り戻した。

「五輪では、プレッシャーというより、『どう滑るか』『どう攻略するか』ということに集中できていたと思います。でも私の方はリスクマネージメントから入るので、スタートのタイミングだったり相手だったりコースだったり......、それはもういっぱい考えていました。

 500mに関してもスターターが韓国人というのはわかっていたし、過去にイ・サンファと同走だった時に『レディー』からの間隔がすごく短かったことも経験していた。どんなに強くても失格になったら勝てないので、『鳴ってから出なさい』と言ったし、『その時に自分の軸をブラさないで、ちゃんと自分のポジションからいけ』とも言いました。

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