小平奈緒の平昌五輪金メダルの裏にあった、「コーチの心配性」 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA

 小平は直後の平昌五輪で、開会式2日前に現地で行なわれるタイムトライアルで、いきなり37秒05の好タイムを出した。これはW杯第2戦のノルウェー・スタバンゲル大会で出していた37秒07の低地世界最高を上回る記録だった。しかし、結城はそこでもまだ不安を感じていたという。

「実は内容的には半信半疑というか、腰の動きが非常に悪くてもう赤に近い黄色信号だったんです。現地入りしてから右足首に痛みが出てきていたというのもあって、あのタイムトライアルでは右足が2歩くらいスポンと抜けていたんです」

 そんな状況だったこともあり、出場種目についても迷いはあった。最初の種目だった1500mは、レース前日まで出場させるかどうか決めかねていたという。

「彼女に『最後にもう一度確認するけど、1500mに出るか?』と聞くと、小平は『1500mに出ない五輪は私にはない』と即答したんです。そのつもりで練習をしてきているということでした」

 実際に小平は1500mでもいい滑りだったが、結果は6位。続く1000mも2位だった。

「1000mも見ている人は残念そうな顔をしていましたが、僕はベストレースをしたと思っているんです。有利なインスタートだったヨリン・テルモルス(オランダ)と髙木美帆が先に1分13秒56と1分13秒98を出したあとに、小平がちゃんとその間に割って入ったというのは、すごいこと。

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