「空飛ぶ才女」は世界選手権も技の勉強。ハンググライダー・鈴木皓子 (2ページ目)

  • たかはしじゅんいち●文・撮影 text & photo by Takahashi Junichi

 鈴木は初めてのブラジル遠征をこう振り返る。

「とにかく、現地に行くまでが大変でした。特に苦労したのは、グライダーの輸送です。航空貨物があまりに高額なため使えず、手荷物として載せられる航空チケットを探さなければならなかったんです。私のグライダーは幸い無事でしたが、輸送中にひどく扱われてグライダーを壊されてしまった選手もいます。リオデジャネイロに着いてからは、開催地までの約1000kmをレンタカーで移動しました。

 でも、行ってしまえば夢のような日々でしたね。100名以上の強豪選手たちに混ざって4、5時間を必死で飛んで、ホテルに帰って、反省して、寝るという毎日。ずっとハンググライダーのこと、飛ぶことだけを考えることができて、素晴らしい経験になりました」

気象や地形に合わせて、どう飛ぶか戦略をめぐらせる気象や地形に合わせて、どう飛ぶか戦略をめぐらせる 彼女がハンググライダーに魅せられたのは、まだ小学1年生の頃だ。愛知県の五井山(ごいさん)エリアにある祖父の家へ遊びに行ったときに、上空を飛ぶハンググライダーにひと目惚れした。ただし、そうは言っても子供が1人で空を飛ぶことなどできるはずもなく、その後はずっと憧れるだけの年月が続く。

 ようやく夢が実現したのは、京都大学に進学した1年生のとき。大学のサークルに加入することで、念願のハンググライダーデビューを果たした。しかし、実際のフライトはそんなに簡単なものではなかったという。

「初めて山から飛んだときは、先は長いなあ、いつになったら自由に飛べるようになるんだろうかと思いました。自分がイメージしていたのは、アニメのキャラクターがビュンビュン空を飛び回るような、自由に行きたいところに飛んで行けることだったのですが、現実はなかなかそんなにうまくはいかなかったですね」

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