カッコ悪くても勝つ。カーリングの求道者・藤澤五月は勝利に飢えている

  • 竹田聡一郎●取材・文 text by Takeda Soichiro
  • photo by JMPA

「小さい頃から常呂で練習していて、(カーリング)ホールにはオリンピックに出場した選手や指導者がいて、五輪の記念品が飾ってありました」

 そう語るのは、平昌五輪で奮闘を続けるカーリング女子日本代表(ロコ・ソラーレ北見)のスキップ・藤澤五月である。北海道常呂町(現・北見市)のリンクでは、1998年の長野五輪に出場した敦賀信人や近江谷好幸、佐藤浩らが練習を重ねていて、彼女が5歳でカーリングを始めたときから、世界と五輪は身近なものだった。

平昌五輪でメダル獲得を目指すカーリング女子代表の藤澤五月(左)平昌五輪でメダル獲得を目指すカーリング女子代表の藤澤五月(左) 以降も、カーリングの"聖地"とも言われる常呂町からは、小笠原歩(旧姓・小野寺)や船山弓枝(旧姓・林)、そして本橋麻里など、連綿とオリンピアンが生み出されてきた。

「だから『(カーリングを)続けていれば世界に、オリンピックにつながるのかな』って子どもながらに、簡単に考えていた部分はあります」

 そして藤澤は、ジュニア世代でチャンピオンとなり、高校卒業と同時に中部電力に入社。本格的に世界に挑んでいく。

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