2018.02.10

「負けました」と言った羽生結弦の
金メダル。ソチで起きた五輪の魔力

 バンクーバーで日本男子に初のメダルをもたらした髙橋は、本田をコーチに迎えて大会前の大ケガを乗り越えたが、ソチ五輪に至る過程はさらなる試練の連続だった。

 2010-2011シーズン、髙橋はメダル獲得を果たしたことからモチベーションが低下し、一時は引退も頭をよぎったという。そのシーズンを締めくくる世界選手権で5位に終わったことで現役続行を決意し、その後は調子を取り戻していたが、2012-2013シーズン終盤の四大陸選手権で7位、世界選手権では6位と精彩を欠く。
 
 ソチ五輪のシーズンは、11月に右すねを負傷した影響でGPファイナルを欠場。代表選考会の全日本選手権はフリー転倒時に右指を切り、流血しながら演じきったものの5位に沈む。過去の実績などから代表のメンバーに選ばれたが、本番直前にはSP使用曲のゴーストライター騒動に巻き込まれた。

 とても万全とは言えない状態の中、髙橋は本番のSPを4位でまとめ、現役生活最後のフリーを迎える。ジャンプでミスがあり、ステップも全盛期と比べたらキレは落ちていた。総合6位という結果には、本人は納得がいかなかったかもしれない。しかしながら、さまざまな苦難を乗り越えてきたスケート人生の集大成となった演技に、観衆は魅了された。

 そんな珠玉の"ラストダンス"を披露した髙橋の前で、次世代のエース、羽生結弦が日本人初の金メダルを獲得した。

 髙橋がバンクーバー五輪で3位に入った2010年、中学3年生だった羽生は日本で4人目の世界ジュニア王者に輝く。シニアに上がってからは、東日本大震災で拠点だったアイスリンク仙台が営業中止になる苦難も乗り越えながら、次々と自己ベストを更新。全日本選手権2連覇を果たしてソチ五輪への出場を決めた。

 本番では、先に行なわれた団体戦のSPで波に乗り、個人のSP『パリの散歩道』では前人未到の100点超えとなる101.45点で首位に立つ。しかし、続くフリーでは3回転フリップで着氷を失敗するなどミスを重ね、不本意な結果に終わった。

 フリーの演技を終え、ミックスゾーンに姿を現した羽生は「負けました」と口にした。そのとき羽生は、自分の直後に滑走するカナダのパトリック・チャンに逆転されることを覚悟していたのだ。