2018.02.10

「負けました」と言った羽生結弦の
金メダル。ソチで起きた五輪の魔力

ノルディック複合・男子個人ノーマルヒルで銀メダルを獲得した渡部 photo by JMPA その葛西が初めて出場した1994年のリレハンメル五輪以降、メダルがなかったノルディックスキー複合では、渡部暁斗が日本人選手として20年ぶりに表彰台に上った。

 2010年のバンクーバー五輪に続く出場となった渡部は、ソチ五輪初戦の個人ノーマルヒルで、前半のジャンプをトップと6秒差の2位につける。後半のクロスカントリーでも激しいトップ争いを演じ、最後は引き離されたものの銀メダルを獲得した。

 ヨーロッパ勢の選手に負けない"走り"が武器だった渡部には、お手本となる日本人選手がいた。2010年のトリノ五輪まで3大会連続で五輪を戦った小林範仁(のりひと)だ。

 日本が14年ぶりに団体戦で金メダルを獲得した2009年の世界選手権(チェコ・リベレツ)で、小林は後半のクロスカントリーのアンカーとして3位でスタートし、残り700mでトップに立って最後のスプリント勝負も制した。小林は、ヨーロッパ勢が優位だったクロスカントリーでも日本人選手が勝てることを証明してくれた選手だった。

 そのときの世界選手権や、トリノ五輪でもチームメイトだった渡部は、起伏の激しいコースの走り方、スプリントのタイミングなどを小林から学んだ。先輩の背中を見ながら最大の武器を手に入れ、クロスカントリーとのバランスを考えながら前半のジャンプも磨き、ソチ五輪の銀メダルにつなげた渡部。ソチからさらなる進化を遂げた渡部なら、平昌五輪で複数のメダルを獲ってくれるだろう。

 ある選手が礎(いしずえ)を作り、それに勇気を得た新しい才能が台頭するといった流れは、どのスポーツでも共通するものだ。日本の男子フィギュアスケートにおいては、公式戦で初めて4回転ジャンプを成功させ、2002年のソルトレイクシティ五輪で4位に入賞した本田武史、バンクーバー五輪で銅メダルを獲得した髙橋大輔が、その礎を築いたと言っていい。