2018.02.08

浅田真央「伝説のトリプルアクセル」を
見た記者の体はブルブル震えた

短期連載・五輪記者オリヤマの追憶 バンクーバー(2010年)

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 2010年のバンクーバー五輪(カナダ)は、「春季オリンピック」と言ってもいいくらいに暖かかった。深刻な雪不足に見舞われ、大会側もモーグルの会場を変更するなどの対応に追われていた。

 大会期間中は雪どころか雨も多く、取材用のノートが濡れて文字が書けなかった。紙が破れないように注意しながら筆圧を強くして溝を作り、ホテルに帰ってそれを光にかざしながら内容を確認していたのを覚えている。

 そんな異例の五輪で、日本は銀メダルを3個、銅メダルを2個獲得した。金メダルは獲れなかったが、ソルトレイクシティ五輪とトリノ五輪のメダル総数がそれぞれ2個、1個に終わっていたことを考えれば十分すぎる結果だ。

フィギュアスケート女子で銀メダルを獲得した浅田真央 photo by JMPA 先陣を切ったのは、ともに4年前のトリノ五輪で悔しい思いをした、スピードスケート男子500mの長島圭一郎と加藤条治だった。長島は前回13位に沈んだ雪辱を果たす銀メダル。加藤も、スケート靴の刃が欠ける”事故”で6位に終わったトリノの悪夢を振り払って銅メダルを獲得した。

 2009-2010シーズンの調子を見れば、長島と加藤が”ワンツーフィニッシュ”を飾ってもおかしくなかったが、優勝した韓国の牟太釩(モ・テボム)は強すぎた。特に最後のコーナーを出てからの加速はものすごく、同種目に出場した選手の中で唯一、2本とも34秒台を出す異次元の滑りだった。

 2000年初頭から自国での冬季五輪開催を目指していた韓国は、1998年の長野五輪を前にした日本のように各競技の強化に力を入れていた。

 実際に、500m女子でも韓国の李相花(イ・サンファ)が金メダルを獲得。日本の女子選手は、今や”絶対女王”となった小平奈緒、中学生の代表入りで注目を集めていた髙木美帆などが出場したが、ヨーロッパ勢やカナダ勢も強く、メダルがなかなか見えない日が続いた。

 しかし、閉会式を翌日に控えたスピードスケートの最終種目チームパシュートで、ついに日本が表彰台に上ることになる。そのときのメンバーは、長距離を得意とする穂積雅子、個人の2種目で5位に入賞していた小平、そして、4大会目の五輪を戦っていた35歳のベテラン・田畑真紀の3人だった。