冬季五輪の回想。あの失敗ジャンプ後、原田雅彦は力なく笑っていた (2ページ目)

  • photo by Kyodo News

 しかし、そんな荻原の悲運がかすむほどの事件が、ジャンプのラージヒル団体で起こる。

 その頃の日本ジャンプ界は、長野五輪に向けて潤沢な資金を投じて強化が図られていた時代で、外国人スタッフを招き、スキーの板もメーカーから最新のものを提供されていた。その効果もあり、ノルディック複合と同様に、日本のジャンプ選手の多くがW杯で上位入賞を果たして五輪を迎えた。

 リレハンメルでもその実力通り、日本はラージヒル団体2本目の3人目まで安定したジャンプを見せ、最後の原田雅彦のジャンプを前に2位以下を大きく引き離していた。日本を追う立場のドイツの最終ジャンパー、イェンス・バイスフロクが、順番を待つ間に原田と「コングラチュレーションズ(おめでとう)」と握手を交わすなど、勝負はすでに決まったも同然だった。

 そのバイスフロクが135.5mのスーパージャンプをマークしたものの、原田は100mを少し超えれば優勝が決まる。しかし、そこで何が起きたかは言うまでもないだろう。結果は、97.5mの大失敗ジャンプ。着地の瞬間、私は目の前の現実が受け入れられず、会場の空気が止まったように感じた。

 大会後の報道では、バイスフロクがプレッシャーをかけたことが原因とも言われた。だが、原田は自分でも「確率が悪いジャンパーだった」と語るように、もともと飛ぶタイミングにズレがある選手だった。それが圧倒的優位なあの状況で出てしまうくらい、五輪の最終ジャンパーの緊張感は想像を絶するものだったのだろう。

 その時の映像を覚えている方も多いだろうが、原田はうずくまって頭を抱え、泣いているようにも見えた。しかし、チームメイトが「銀は獲れたよ」と慰めに行くと、顔を上げた原田は笑っていたらしい。葛西紀明は後にその時の心情を「さすがに、この野郎と思った」と冗談交じりに振り返っている。

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