ジョージア出身・栃ノ心は、なぜ「親方の不祥事」をプラスにできたのか (2ページ目)

  • text by Sportiva
  • photo by Kyodo News

 度重なる門限破りや、「外出時には着物を着用しなければいけない」という相撲協会の服装規定を何度も破ったことから、師匠の春日野親方(元関脇・栃乃和歌)からゴルフのアイアンで殴打されるなど厳しい叱責を受けた。この事実は警察沙汰にもなって協会にも伝わり、「指導自体は致し方ないが、その方法は行き過ぎ」として、師匠は当時の放駒理事長(元大関・魁傑)から厳重注意を受けた。

 春日野親方は、処分を受けた後にすべての弟子を集めて謝罪。当時は八百長メール問題からの再起を図ろうとしている最中で、この暴行事件は世間からも厳しい視線を浴びた。

 しかし栃ノ心は、そんな親方の愛情も理解していた。四股名に入っている「心」は、「日本人の心を持ってほしい」と、春日野親方が願いを込めてつけたもの。また、栃ノ心が入幕を果たして間もないころには、現役時代に締めていた紺の締め込みを贈るなど、遠い異国から来た愛弟子にひときわ気を配っていた。

"日本の父"ともいえる師匠が、自らの過ちに端を発して窮地に立たされたことに、栃ノ心は「オレが悪いことをしたのに、親方にまで迷惑をかけて本当に情けないことをしてしまった」と、うなだれていた。

 師匠はこの騒動以後、弟子に手を上げる指導はしなくなった。栃ノ心も迷惑をかけた罪滅ぼしは「土俵でするしかない」との一心で、稽古に没頭する。しかし、2013年の名古屋場所で右ヒザ前十字じん帯断裂の重傷を負い、4場所連続で休場。番付は一時、西幕下55枚目まで転落した。

 入院したときは「もうダメだ。引退かな」という考えが頭をよぎったという。だが、いざ退院して部屋へ戻ると、そんな栃ノ心の思いを見抜いた師匠から、「お前はあと10年頑張るんだからな」と声をかけられた。

「あの言葉でもう1回頑張ろうと思いました」と振り返る栃ノ心は、痛めたヒザをカバーするために、休場する以前よりも筋力を強化。さらに、取組の際に後ろに下がるとケガを再発するリスクが大きくなるため、とにかく前に出て攻める姿勢を体にしみ込ませた。

 そして迎えた今場所は、得意の右四つ左上手だけでなく突っ張りも冴えた。攻める姿勢を忘れずに進化した栃ノ心の姿がそこにあった。

「親方には感謝しかないです」と栃ノ心が話せば、春日野親方も「自分が親方を務めているときに、優勝力士が出るとは思わなった」と喜びを口にする。師弟二人三脚で辿り着いた幕内最高優勝。千秋楽で部屋に戻った時、力水をつけた師匠と固く抱き合った2人は号泣した。その姿に周囲にはわからない師弟の深い絆が表れていた。

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る