「オリンピック休戦」の実現へ。平昌を前に考えるモスクワ五輪の悲劇 (3ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko  photo by Kyodo News

「しかし、心の中ではくすぶり続けていました。モスクワまでとその後の4年間というのはぜんぜん気持ちが違いました。(中略)ロスではひとつ目標がありました。金メダルを獲ったら、首から下げてもらったメダルをちぎって投げてやろうと思っていたんです」(『スポーツゴジラ37号』)

 シンポの中では、当時の日本代表となった全18競技178人のうち、現在でも連絡先がわかった92名にアンケートを取った結果も発表された。影響についての問いに対して「ボイコットから大きなダメージを受けた」との回答が84%あった。さらに身につまされる思いがしたのは記述式回答の中で「オリンピック代表と言っても私たちには必ず『幻の』がつく。オリンピアンを名乗ってよいのかどうか。自分たちの身分が不安である」というものであった。

 実際には、JOCが「認定書」を出してオリンピアンとして認めているが、モスクワの組織委員会にはボイコットによって代表選手団名簿が送られていないので、IOCはこれを認めていないのである。

 冷酷な現状に対し、笹田は「実際に戦っていない。演技していないわけですから、IOCに認めていただけないのはやむを得ないのかもしれません。とはいえ、やはり自分たちだけが認められないというところに、割り切れない感情は残りますね」と語っている。

 傷ついた魂は今もまだ幻影を引きずっている。

「政治によるスポーツへの介入を繰り返してはいけない」

 意見を集約する形で登壇者らはオリンピック憲章に定められた【平和でよりよい世界の構築に寄与する】ことを目的とした【オリンピック・パラリンピック休戦】アピールを行なった。オリンピック、パラリンピックの期間に全世界に休戦を求めるものである。

 呼びかけ人には元国連事務次長の明石康、全柔連副会長の山下泰裕、さらにはプロバスケットボール選手の田臥勇太に至るまで、幅広い方々が名前を連ねる。

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