トレイルランナー鏑木毅、50歳の挑戦に松田丈志はなぜ共鳴したのか (2ページ目)

  • 松田丈志●文 text by Matsuda Takeshi

 それは目標にかける「想い」の総量だろう。目標への想いや覚悟が強ければ強いほど、アスリートは考え、行動に移し、自分を追い込んでトレーニングしていく。そのひとつひとつの積み重ねが想いの総量となっていく。

 鏑木選手が今回、挑戦を公言したのと同じような経験が私にもあった。

 ロンドン五輪後、リオを目指すか迷っていた時期がある。32歳で迎えるリオ五輪で自分がまだ世界のトップで戦えるのか、考えに考えたが、いくら時間をかけて考えても答えは出なかった。詰まるところ、挑戦するかしないかの二択しかなく、私は「挑戦する自分でありたい」と思い、2014年3月にリオ五輪への挑戦を公言し、最後の五輪への挑戦がスタートした。

 挑戦を公言することで自分の退路を断ち、時にブレそうになる気持ちを一直線に目標に向かわせていく。そうやって目標に懸ける想いの総量を増やせば、増やした分、身体も細胞も反応し、高揚感に繋がっていくと私は思う。

具体的な目標は秘めたまま

 鏑木選手も50歳の自分の身体に魂を注入して、トレーニングしたらどこまでできるのか挑戦したいと語ってくれた。

 実際、UTMBへの挑戦を発表した会見以降はここ数年できなかったレベルのところまで追い込んで、トレーニングできているという。もうきつくてやめたいと思う時、インターバルトレーニングで、この1本追い込むかどうか迷った時、自分をプッシュできるかどうかは、想いが強いかどうかで決まる。その想いが集まれば集まるほど、高揚感も高まってくることだろう。

 さらに鏑木選手は今回のUTMB挑戦に際し、その目指し方にもこだわった。

 それは順位などの明確な数字の目標は掲げなかったことだ。会見中、具体的な数字の目標を聞きたいという質問も出たが、一貫して鏑木さんはそれらの相対的な目標は語らなかった。

 私はそこに鏑木選手の信念を感じた。相対的な目標を語るのはある意味、簡単だ。私もこれまで数々のインタビューを受けてきたし、今はアスリートをインタビューする機会もある。

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