幻覚が襲う過酷なレースで、鏑木毅は挫折だらけの人生をリセットした (3ページ目)

  • 松田丈志●文&写真 text & photo by Matsuda Takeshi


 その悔しさを胸に、大学では夢を叶えたいと、箱根駅伝出場を夢みて二浪してまで早稲田大学に入学。競走部で箱根駅伝出場を目指すが、もう少しで箱根のメンバーに入れそうな時に、再度、坐骨神経痛を発症。遂に箱根駅伝を走る夢は叶わず、失意の中、大学3年で退部。大学卒業後は地元群馬県庁の職員として働き始める。

 ただ、就職してからも、陸上で挫折しか味わえなかった自分の学生時代を振り返っては、「俺はなんのために走ってきたんだろう」と考えていたという。

 その気持ちの根底には、自分も輝きたいという渇望もあった。

 そんな時、28歳で出会ったのがトレイルランニングだ。

 タイムや順位を求めて走る陸上競技で成功できず、走ることが苦い思い出になっていた鏑木さんにとって、トレイルランニングは走ることの純粋な楽しさを感じさせてくれた。

 それからは県庁職員として働きながらトレーニングを積み、徐々にトレイルランナーとして実績を重ねていく。

 そして2009年、遂に40歳で県庁を退職し、プロトレイルランナーになった。

 プロになったその年のUTMBで3位に入ったことは、40歳という遅い年齢でプロ転向した鏑木選手にとって、そのキャリアを後押しする十分なインパクトとなった。

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