横綱たちに稽古で可愛がられる新小結、阿武咲。「しっかり暴れます」 (2ページ目)

  • text by sportiva
  • photo by Kyodo News

 5歳の阿武咲は、その姿を見た小山内監督が「小学生だと思った」と勘違いするほどの体格と、持ち前の運動神経ですぐに頭角を現した。同年代の子供との稽古では「前に出るだけで勝っていました」(小山内監督)と相手にならず、年が2つも3つも上の小学生に胸を借りていた。

 そこで監督が課したのは、相撲の基本となる"前に出ること"だった。当時の阿武咲は右四つを得意としていたが、何でもできる器用さがゆえに、右のまわしをつかんで力任せに投げて勝つなど、"楽に勝つ相撲"を取るようになっていたという。「これでは成長できない」と感じた監督は、阿武咲に右からの攻めを禁じた。

「楽に勝てることを覚えてしまうと、前に出ることが疎かになってしまう。全国で勝つためには、それでは通用しなくなります。なので、右を使うことは将来につながらないと思い、稽古の段階から『右は使うな』と指導しました」

 右四つの代わりに小山内監督が伝授したのが、左からのハズ押し(相手の脇腹などに手をあてがって下から上に攻めること)と、おっつけだった。右のように器用に使えない左から攻めさせ、立ち合いから相手を一気に土俵際まで持っていくことも同時に徹底させた。全国でさらに大きい相手と戦うことになることも想定していたことが、今につながっている。道場で練習していた少年時代こそ周囲に比べて体格がよかったが、現在の阿武咲の身長は176cmで、幕内平均身長(約183cm)より7cmほど低い。そんな阿武咲にとって、ハズ押しは最大の武器となったのだ。

 そんな厳しい指導のおかげで、小学4年生で夏休みの全国大会「わんぱく相撲」で3位に入り、6年生で小学校最後の全国大会となる「優勝大会」で全国制覇を達成した。中学に上がってからは、「全国都道府県大会」で史上初となる2連覇。そして、青森・三本木農業高校1年で国体を制した後、卒業を待たずにプロ入りを決意した。

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