バドミントン世界女王・奥原希望が、東京でメダリストになるために (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 写真●新華社/アフロ

 ファイナルゲームは互いに疲れきった状態で、シーソーゲームとなる。しかし、15-15になったあたりで奥原に笑顔が見えた。

 その理由を「15オールから体が軽くなってきたのを感じて『あれっ、私おかしくなっているな』と思って。ランナーズハイみたいな感じになったのだと思います。練習ではそういうのを経験してはいたんですが、試合であそこまで体が軽くなったのは初めてでした」と話す。

 帰りの飛行機の中で試合を振り返ってみたものの、ほとんど覚えていなかった。ただ、それまでの自身の最長試合である、マレーシアオープンのワン・シーシャン(中国)戦ではファイナルの9-9でハムストリングが攣(つ)ってしまったため、「ああ、今日も攣ってしまうのかな」と不安になったという。

「インターバルの間に回復して痙攣はしませんでしたが、ファイナルはシーソーゲームになって内容はほとんど覚えていないんです。ひとつだけ覚えているのが、17-18からのラリーでフォア前に置いた球がアウトと判定されてチャレンジをしたことですね。入っていればラッキーくらいのイメージだったので、アウトと判定されたけれどダメージもなく、負けるというイメージも全然浮かんでこなくて、逆に『ということは勝つんじゃないかな』と思ったくらいで......。とにかく相手がきつくなっているということは、わかっていたので、勝ち負けよりもここまで追い込まれてもできるんだというパフォーマンスをしようとだけ考えていました」

 そこから追いついてジュースになり、2点連取しての優勝。試合時間は実に1時間50分という、互いにすべての力を出し切る死闘だった。

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