ボルダリング・ライバル物語「同い年のスター、楢崎智亜を追いかけて」 (2ページ目)

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro  佐野美樹●写真 photo by Sano Miki


 しかし、スポーツクライミングの東京五輪での追加種目入りに向けて9年ぶりに国内開催となったBWC加須の初日の予選に石松の姿はなかった。直前の4月上旬に傷めていた左手がトレーニングに耐え切れなくなり悲鳴をあげたのだ。骨折と診断されて出場を断念。気持ちに踏ん切りをつけた矢先の4月16日、マグニチュード7.3の本震が石松の地元・熊本を襲った。

「実家の被害は小さかったけど、やっぱりショックで......」と当時を思い出すと、いまでも言葉は少なくなる。

 石松が度重なる試練を前にもどかしい日々を送っていた頃、世界の舞台で輝きを放ち始めたのが同じ1996年生まれの楢崎智亜(ならさき・ともあ)だ。若くして将来を嘱望され、高校3年時に家族の援助を受けてBWC5戦に参戦して、中国・海陽大会では5位。卒業後はプロスポーツクライマーとして平山ユージ氏のジムとマネジメント契約を結んだ。当初はその才能をコントロールできずに成績は安定しなかったが、BWC加須の翌週に行われた重慶大会で初優勝すると、瞬く間にスポーツクライミングの頂点にまで駆け上がった。

 国内戦のBJC2016では15位だった楢崎を上回る4位の成績を残した石松。同年代の先頭を走るライバルに追いつきかけた矢先、再び楢崎が国際大会で華々しい成績を残していく。その活躍をただ眺めるしかなかった石松に、シーズン最終戦、8月のミュンヘン大会で念願のBWC初出場の機会が訪れる。金髪に染めて目立つ気満々で臨み、予選を3位タイで通過したが、準決勝18位で散った。そのミュンヘンで最も輝いたのが楢崎だった。決勝4課題をただひとり全完(すべての課題を完登)して優勝、逆転でのBWC年間王者の座についた。

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