関取ゼロの高砂部屋を救った朝乃山は、亡き恩師の思いを胸に戦う (2ページ目)

  • text by Sportiva
  • photo by Kyodo News

 富山県出身の関取誕生は、1988年九州場所の駒不動以来29年ぶり。故郷は久々の関取誕生に地元紙が号外を出すほど沸き返った。浦山さんも、病床で優勝を決めた一番をテレビで見ていたという。

「後で先生の奥さんからお聞きしましたが、その時、先生は、目を開けるのもつらい状況だったのが、自分が勝った時に少しだけ顔が和らいだそうです」

 朝乃山が優勝した翌日の1月21日、教え子の快挙を見届けるように浦山さんは息を引き取った。40歳のあまりにも早すぎる死だった。

 千秋楽翌日の1月23日、葬儀に参列した朝乃山は弔辞を述べ、遺影の恩師に感謝を伝えた。葬儀を終えた時、浦山さんの妻・あいかさんから一枚の紙を渡された。そこには、「頑張ったら横綱になれるから。富山県のスーパースターになれ」という恩師からの言葉が書かれていた。読んだ瞬間に涙が溢れた。恩師が託した手紙は巾着袋に入れ、お守りとして肌身離さず大切にしているという。

「読み取れないような字でした。それは、先生がご自分の体が苦しい中でも自分にどうしても伝えたい言葉だったのだと思いました。先生の遺言だと受け止めています」

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