喜びは一筋の涙で。稀勢の里を横綱に導いた亡き師匠の「土俵の美」 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji photo by Kyodo News

 稀勢の里が白鵬の63連勝を止めた2010年九州場所の2日目。双葉山の69連勝に迫る大記録を築いていた横綱を破る大金星にも、稀勢の里は土俵上で表情を変えず、支度部屋でもいつも通り淡々とした口調を貫いた。

「私が嬉しかったのは、あれだけの金星を挙げても稀勢の里がいつも通りの勝ち名乗りを受けたことなんです。本人は喜びを爆発させたかっただろうと思う。それでも自分自身を抑制した。あの姿勢こそ土俵の美なんですよ」

 この時、師匠は部屋に戻った稀勢の里を呼んで、その土俵態度を入門以来、初めて褒めたという。

 その約1年後に師匠はこの世を去る。しかし、5年の歳月を経ても教えは心の中に残っていた。14日目で優勝は決まったが、まだ場所は終わっていない。「気持ちを切らすことはできない」と、あふれ出そうになる感情を右目から流れ落ちた涙だけにとどめた態度こそ、まさしく土俵の美だった。

「自分の中に師匠の教えはしみ込んでいますから。亡くなっても自分の中では今も生きているような感覚がずっとありますよ」

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