喜びは一筋の涙で。稀勢の里を横綱に導いた亡き師匠の「土俵の美」 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji photo by Kyodo News

 歓喜を大声で叫んでも、体を震わせて号泣しても、それを笑う者はいなかっただろう。しかし稀勢の里は感情を押し殺し、東の支度部屋で「ま、そうですね......」と口を開くと、「嬉しいですね」とたったひとつの言葉を絞り出した。この不動の姿勢こそ、亡き師匠の教えを守り続けたことの象徴だった。

 その師匠とは、稀勢の里が大関昇進を決めた2011年九州場所の直前に、59歳で急逝した元横綱・隆の里。現役時代は19歳から糖尿病に悩まされたが、徹底した自己管理と、「土俵の鬼」とうたわれた元横綱の初代・若乃花の厳格な指導を受け、苦労の末に30歳11ヵ月で横綱に上りつめた。

 辛抱を重ねた横綱誕生に、当時の人気ドラマ「おしん」を引き合いにして「おしん横綱」と呼ばれた師匠。引退後、1989年に鳴戸部屋を創設してからは、弟子たちにも初代・若乃花から受けた薫陶と自身の経験を徹底的に伝える、厳格な指導を貫いた。生前、師匠はこう話していた。

「相撲の美しさは、勝っても負けても正々堂々の姿勢にある。それが『土俵の美』です。いわば江戸の華ですよ」

 テレビの勝利インタビューはもちろん、支度部屋での新聞記者へのコメントでも、弟子が浮かれたような言葉を発すれば徹頭徹尾、戒めていた。そんな厳格な師匠が、心の底から喜んだ瞬間がある。

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