病室での断髪式。異色のモンゴル出身力士・時天空、涙の引退秘話 (2ページ目)

  • 武田葉月●文 text&photo by Takeda Hazuki

 2002年名古屋場所で初土俵を踏んだ時天空。現在の大相撲界は、白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱を筆頭に、20数名のモンゴル人力士が活躍しているが、彼はそうした多くのモンゴル人力士とは異なる経緯で角界入りした。

 時天空は当初、モンゴル・ウランバートルの国立モンゴル農大で柔道に励んでいた。それが2000年、東京農大に転入すると、相撲部に入部したのだ。相撲部ではすぐに頭角を現して、日本国内の大会で活躍。以降、2000年の世界相撲選手権(ブラジル)や、2001年のワールドゲームズ(秋田県)などの国際大会にも参戦し、彼自身、相撲への自信を深めていった。

 ちょうどその頃、少年時代に同じ柔道道場で一緒に稽古に励んでいた朝青龍や朝赤龍らが、大相撲界で活躍していた。その姿を見て、時天空はさらに刺激を受けた。

「オレも力士になって、彼らと同じ土俵で戦いたい!」

 そんな思いを次第に強くしていった彼は、大学に在籍しながら、23歳になる直前に(入門規定は23歳以下)大相撲の門を叩いた。

 角界入り後も時天空は、その実力を遺憾なく発揮。名古屋場所でデビューしたあと、続く秋場所から序ノ口、序二段、三段目で無類の強さを見せ、22連勝という快挙を達成した。2004年春場所(3月場所)に十両昇進を決めると、ふた場所後の名古屋場所では当時史上最速となる所要12場所での新入幕を遂げ、一気に人気力士の仲間入りを果たした。

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