バドミントン松友美佐紀。金メダリストは5年前、何を語っていたか (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

 そして、中学校3年生のときに経験した、40日間の中国合宿も松友にとっては大きな財産となった。合宿当初は、中国人選手の力のこもった重いシャトルをまともに返すことさえできなかった。試合をしても相手にならなかった。それが、合宿終盤には中国人選手とも打ち合えるようになり、試合でもファイナルゲームまで競えるようになった。

「日頃から中国人選手の速い球を受けていたら、『(自分も)何かが変われるんだな』と思いました。あの経験で、中国人選手に対しても怖さを感じないようになったし、トップ選手と対戦して1ゲーム目がさっぱりだったとしても、2ゲーム目の途中からはその速さにもついていけるようになった。やはり環境というのは大切だな、と思いましたね」

 中学校を卒業して、宮城県の強豪校である聖ウルスラ学院英智高を選んだのは、そうした理由もあった。

 高校に進学すると、1学年上の高橋礼華と組んでダブルスもやり始めた。そして、ジュニアからシニアの世界へと大きく羽ばたいたのが、2009年。松友が高校3年のときだった。

 2008年11月の全日本総合選手権ダブルスで3位になった松友&高橋ペアは、2009年4月の大阪インターナショナルチャレンジでは、準々決勝で松尾静香&内藤真実ペア、準決勝では藤井端希&垣岩令佳ペアと、日本代表ペアを次々に撃破。見事な優勝を飾った。シングルスでも、インターハイ連覇こそ逃したものの、12月の全日本総合選手権では、北京五輪16強で日本の第一人者である廣瀬栄理子と準決勝で対戦。ファイナルゲームで20-17とマッチポイントを握って場内を騒然とさせた。

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