千代の富士からの伝言「なぜ出稽古で強い力士の胸を借りないのか」 (4ページ目)

  • 福留崇広●文 text by Fukutome Takahiro
  • photo by Kyodo News

「これより2kg増えただけで動きが違ってくる。少し増えたなと思ったら多めに汗を流すとか、自分なりに工夫してベストを維持することを心掛けていたね」

 勝負勘も抜群だった。あのウルフフィーバーが吹き荒れた初優勝の1981年初場所。本割で横綱・北の湖につり出され、優勝決定戦で再び対決した。本割では北の湖と雪崩込むように土俵下に落ちたのだが、この時、相手が左足首をひねったのが見えたという。勝ち名乗りを受ける時に横綱が多少足を引きずっていることで確信。決定戦では「横綱の左足を揺さぶろう」と出し投げを狙い、見事に決めた。この一番を「相手の動きを見てれば、わかるよ」とこともなげに振り返ったが、瞬時に敵の変化に気づく勘は天性のものだろう。

 親方としては大関・千代大海(現・佐ノ山親方)を始め、多くの関取を育成。現役では7人もの関取を有する。育て方は対話重視。弟子一人ひとりと交換日記を行ない、自ら目を通し、赤字でアドバイスを送る。時にはLINEを使い、叱咤激励。厳しいだけでなく「勝ち越したら好きなものを食べさせてやる」とのアメもぶら下げて、弟子のやる気を引き出してきた。大横綱にして名伯楽。それが九重親方だった。

 そして取材中、話題は今の力士に移った。中心になったのは2年前(2014年)も綱に一番近いと言われた稀勢の里(田子ノ浦部屋)だった。「稀勢の里は横綱になれますか」と聞くと、即答だった。

「無理無理」

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